司法制度改革が失敗した理由は単純明快で、法科大学院の定員を増やしすぎたことと、予備試験受験に年齢制限を設けなかったこと、です。
法科大学院を修了すれば8割が法曹になれる、初年度は合格者として1,000人が見込まれる、それならば定員は1,250人であるべきことは自明です。法曹の質を保ちながら司法試験の合格率を高めたいならば、受験資格を得るための競争を用意するべきです。難関である法科大学院合格を勝ち取るために浪人する者が出る、というのが、本来あるべき姿でした。
優れた法曹を養成するためには法科大学院における教育プロセスが必要だ。しかし経済的な理由から法科大学院に進学できない者のために救済策が必要だ。だから予備試験という受験資格を設ける。ここまでは言葉の意味が分かります。
ならば、予備試験において求められるのは法科大学院で得られることを代替するものであるべきです。法科大学院は原則3年で、既修者は2年に短縮されます。予備試験の受験資格として、例えば3年間の社会人経験を求めるというのが相当でしょう。
ところが現実の予備試験は、年齢制限なし経験不問の一発勝負です。これは、法科大学院で得られるのは学力だけだという自白に等しいことです。その結果、必然的に、優秀ならば実力で予備試験を勝ち抜いて受験資格を手にするし、優秀でないならば時間とお金を法科大学院にかけて受験資格を買う、という現状に至りました。現代の法科大学院修了者は敗北者です。年齢制限がない予備試験の制度趣旨を読み解けばそうなります。
法科大学院制度の立て直しは簡単で、予備試験の受験資格を25歳以上にすれば良いのです。相応の人生経験があれば法科大学院で得られると同様の見識が得られる、という理由付けです。これで優秀層は必ず法科大学院を経由します。さらに、法科大学院の入試難度が高まっても、定員を増やしてこれを緩和しないことも必要です。法科大学院合格ニアリーイコール司法試験合格、法科大学院で学ぶべきは学力のその先であり、試験対策ではなく実務で役立つあるいは学問的な深みのあるカリキュラムを提供して、それぞれ独自性を出していくというのが理想です。
若く優秀な法曹の卵に回り道をさせるな、というならば、仰る通り、ならば法科大学院制度を廃止しましょう、というのも、もちろん一つの正解です。
問題は、法科大学院で何を学べるのかに尽きます。そこに価値があるならば、回り道をさせることも正当化されます。正当化できないならば、廃止してしまえばいい。私は制度の変わり目に司法試験受験を開始し、力がついてきたころに旧試験が末期となり、止む無く法科大学院を経由しましたが、法科大学院で何かを身に着けることができたとは思っていません。しかし、設立間もない法科大学院ならば、価値ある教育を提供できなくても仕方がなかったとは思っています。とはいえ、制度が始まって20年近くが経ち、未だに何も提供できないのでは、廃止した方が良いと言い切れます。価値ある教育を提供できなかったのは大学だけの責任ではなく、学生の質の低さもあったと思います。誰でも入れる法科大学院で、学力のその先を教えても、身につくはずがありません。当初から優秀な学生を厳選していれば、結果は異なっただろうと考えています。