経済の大学院で、なんとか学位を得られそうなタイミングで、司法制度改革が高らかに謳われ始めました。曰く、法律以外の専門家が弁護士資格を得ればなんだかわからんが大活躍できる。これだと思いました。大活躍できる上に私生活のトラブルも自力解決できるのですから、天啓だとすら感じました。私は弁護士ではなく、経済経営の専門家の端くれが弁護士資格を持つことで大活躍できる何かになりたいのです。
そこで私は、博士課程に進学せずに司法浪人となりました。博士課程に進まない、就職活動もしてない私を、大学院の指導教官は大層心配してくれて、有名企業の幹部候補の求人を持ってきてくれました。しかし、私は、経済学修士号持ち弁護士という肩書に夢を抱いていたのでお断りしました。
当時は司法制度改革が華やかに扱われており、私の周囲でも、ベンチャー企業経営者や東大出の開業医など、様々な分野の人材が司法試験合格を志していました。しかし、他分野出身者で合格したのは私だけでした。東大理三と司法試験とどちらが難しいのかはわかりませんが、東大医学部を出たからと言って司法試験に合格するわけではないのです。そんな中でどんな分野でもある程度までは結果を出せるのが私の強みなのですが、それを活かせる道を見つけられずに今に至っています。
私が司法浪人となったのは2003年で、翌2004年から法科大学院制度がスタートしています。しかし私の頭の中には法科大学院という選択肢はありませんでした。当時、法科大学院経由の合格率は7,8割と言われており、旧司法試験の合格率は3%弱でしたから、後者を選ぶのは当然でしょう。そこに高い山があるから登る。だから登頂すれば評価される。それが司法試験のはずです。私は弁護士になりたいわけではなく、法律以外の専門家としてなんだかわからんが大活躍するために弁護士資格を得ようとしていたのですから、高い山を登ろうとしたことは当然の成り行きでした。そして失敗しました。
私は、私の才能があれば司法試験などすぐに受かる、毎年大学3年生合格者が出ている試験なのだから私も2005年には受かるはず、と考えていました。しかし甘かった。今にして思えば、私の才能は中央大学の中でのトップレベルに過ぎません。大学入学時から勉強を始めたとしても在学中合格できれば御の字という程度でした。ならば冷静に自己分析して2006年、2007年を現実的なターゲットとすべきでした。そして旧司法試験は2006年からの規模縮小が決まっていたのですから、スタートの致命的な遅れを自覚しておくべきでした。司法浪人時代にも大学ゼミの先輩から就職のお誘いをいただいたのですが、いつかは必ず受かるつもりだったのでお断りしています。
2004年(勉強開始1年後)の司法試験は択一落ちの記念受験、当初、合格を予定していた2005年は論文試験まで進んだものの箸にも棒にもかからない不合格でした。論文試験受験者の中では真ん中よりやや下だったと思います。2006年には上位5%以内と戦えるようになったものの試験規模は合格率2%未満に縮小、最後の受験となった2007年には上位2%以内に到達するも、合格率はいよいよ1%未満に突入していました。
ベストは尽くしていたので、事後的に修正したロードマップ通りに大学4年生相当の2006年で勝負の土俵に上がり、合格水準に達するのは大学卒業年相当の2007年という成績推移は実現できました。この結果からも、私の能力は経済でも法律でも中央大学ではトップレベルということが証明できたと思います。しかし、このまま戦い続けても、私の力の伸びと合格率低下の追いかけっこの結末は不透明です。当時は新司法試験に3回の受験回数制限があり、旧司法試験の受験もカウントされていました。私は2007年の最後の旧司法試験受験直前に中央大学法科大学院に進学しており、2007年の旧司法試験はカウント1回目でした。私のプレッシャー耐性は人並みですから、最後の3回目の受験での合格は困難であると考え、ラストチャンスと考えるべき2回目を新司法試験受験に充てることとし、旧司法試験から無念の撤退をしました。
2007年に法科大学院に進学したのは、2年コース修了時の2009年に新司法試験に合格すれば司法修習中の給与が出るからでした。当時、2010年の合格者からは司法修習中の給与が出なくなることが予定されていたのです。その後、予定は1年先延ばしされ、2011年合格組から給与が出なくなりました。
中央に限らず法科大学院には法学部出身者向けの2年コースとそれ以外向けの3年コースがあります。私は2003年から丁度4年間法律を勉強していたので2年コースに入りました。
中央では法学部出身でなくとも内部進学者扱いになるので入学料は安く、成績優秀者として授業料も半額でした。
当時の中央大学法科大学院はトップ校の一角と目されていました。しかし、私のような旧司法試験くずれを授業料免除を餌に傭兵として雇い入れているおよそ教育機関とは呼べない代物であり、傭兵の弾が尽きれば凋落すると予想され、予想通りとなりました。
法科大学院では必死には勉強しない生活となりました。最後の旧司法試験受験において、もしも合格率3%が維持されていたならば受かっていただろう結果だったことで、自分は制度の犠牲者だという思いが強くあり、心が腐っていたのです。また、旧司法試験で受かっていたはずの自分は新司法試験など受ければ受かると慢心していました。
2009年、被害者意識の強い最悪の精神状態で受験した新司法試験の結果は散々でした。
新司法試験など受ければ受かると考えていたので一切対策をしておらず、択一試験は当時7科目から出題されていたのですが、旧司法試験時代に嫌というほど頑張った3科目の貯金で乗り切れると、4科目を徹底放置した結果、足切りラインは越えたものの、借金を背負っての論文試験となりました。
その論文試験も、2時間1通の答案を真面目に書いたことがなく、時間感覚がわからないので、試験時間の4割を寝て過ごしました。寝ていたのは余裕を見せていたわけではなく、自分なりの戦略でした。旧司法試験の択一試験試験時間は3時間30分だったのですが、私は長年の鍛錬の末に択一専用ザクと化していたので、1時間30分から2時間程度で解き終わっていました。余った時間に見直しを始めると、迷った選択肢を書き直してしまい、結局、書き直す前の選択肢が正しかったということを経験していたため、戦略的に時間が余ったら心を無にして寝ることにしていました。それを新試験の論文試験において実践したのです。
旧司法試験の論文試験では、時間が余らなかったので寝ていませんでした。旧司法試験の論文試験は2時間2通だったのですが、新司法試験は2時間1通です。その分、問題文が長く、如何に問題文中の事実を引用するかが問われています。しかし私は、旧司法試験と同様に、事案を最低限処理するだけの、極端に引用の少ない答案を書いていました。その結果、新司法試験の論文試験では時間が大幅に余ってしまったのでした。
旧司法試験の択一で寝ていた人は他にもいると思いますが、新司法試験の論文で寝ていたという話は私以外には聞いたことがありません。今ならば恐ろしくてとても出来ないことが出来てしまうほど、当時は慢心しながら不貞腐れていました。異常な行動から異常な精神状態を察していただきたいと思います。
試験後の受験仲間との打ち上げで答案に何を書いたか話した際には、全科目において事案を完璧に処理出来ていると思われるのは私だけでした。そのため、当然、上位で合格するものと思っていました。しかし、合格順位が帰ってきて驚きました。全科目で受験生の平均よりもやや上、総合点はギリギリ合格という酷い成績だったのです。今にして思えば、間違ったことは書いていないから最低限の合格点はつくが、求められている事実の引用がないので加点要素はなく、相対的に沈んだ答案だったのでしょう。全科目において最低線を狙い、全科目においてその点数がついた。冷静に振り返ると至極当然の結果であり、全力を尽くせない精神状態に追いやられていた自分への哀れみとともに採点への信頼感が生まれました。今でも被害者意識は拭えず、自分を責める気持ちにはなれません。
新司法試験を簡単だと思っている人たちには声を大にして伝えたい。たしかに合格は容易だが、あまり馬鹿にしすぎると下位合格に甘んじることになるぞ。せめて模試を受けて出題形式を知ってから受験するんだ。
そこそこ楽しかった高校時代に一切の勉強を放棄し、大学選択を失敗してしまったばかりに、以降の私の人生は暗澹たるものとなりました。他人に負けない努力を始めたものの、方向設定を誤った大学・大学院時代、自分の才能の程度を思い知らされた司法浪人時代、不貞腐れた結果、みっともない点数での合格という最悪の結末を迎えた法科大学院時代、周囲が青春を謳歌するとともに、社会人としての経験を積んでいく大切な時期を、私は鬱屈した気持ちで過ごしていました。
今の能力を備えたまま大学受験前に戻ることが出来ればバラ色の人生を送ることができるのでしょうが、高校時代の能力に戻ってしまうならば過去に戻りたいとは思いません。現在までの継続した努力を繰り返したくはないからです。努力は無駄にならないというのは、辛い努力を繰り返したくはないので、失敗してもやり直したいとは思わないという意味なのだと思います。諦められないのは努力が足りないからだと聞きますが、その通りだと思います。
また、大学時代、大学院時代、司法浪人時代と、常にどこかから就職のお誘いを受けていたので、人は努力を見てくれているというのも本当だと思います。色々な方から手を差し伸べてもらえたお陰で、私は人生は綺麗事が通用すると信じられるようになりました。辛く苦しい時期こそ、努力だけは失ってはならず、それは必ず報われるのです。