かつて弁護士の間では、人生で一番楽しかったのは司法修習生時代だという思い出話を当然のように共有できていました。今もそうだと信じたいですが、そうではなくなってしまったようにも思えます。
昔は、司法修習とは徹底的にハードに遊び倒すものであり、修習専念義務とは遊び以外の不純物を一切排除することでした。司法試験の勉強お疲れ様でしたが、残念なことに弁護士になっても一生勉強は続きます、だからせめて修習中の短い期間に一生分遊んでおいてね、というのが司法修習の趣旨でした。そのように先輩弁護士から教わりました。
ところが、私の司法修習が終わり、二回試験という名の修習終了試験の打ち上げでショッキングな事実が発覚しました。周囲が4,5人ずつのグループに分かれて、自分たちのグループが一番勉強したと競いだしたのです。そして恐ろしいことに、どのグループにも参加していないぼっちは私だけだったのです。
え?何言ってんの?司法修習中に勉強するだなんて修習専念義務違反だよ?とは思わずに、同調圧力に屈しやすい私は、疎外感と恐怖心から、なぜ私を勉強会に誘ってくれなかったのか周囲を問いただしました。すると、だって誘っても参加しないでしょ、と冷たくあしらわれました。
反省しました。まったくもってその通りです。先輩たちいわく、二回試験なんてスペシャルな馬鹿を弾くための試験だからあんたには対策は必要ない。私は模範的な修習生でしたから先輩たちの教えを信じて、修習専念義務を全うすべく、勉学を一切排除したストイックな修習生活を過ごしました。よくよく考えれば、どこかで勉強会に誘われていたのに、バカジャネーノ、という態度で断っていたのだと思います。本当に申し訳ない。
私と私の先輩たちの認識では、二回試験など受ければ受かるものであり、落ちることを想定するべき試験ではありませんでした。実際には、私の周囲でも優秀な複数人が落ちていたので、私の戦前の認識が甘かっただけなのですが、少なくとも先輩たちの時代は落ちることのない二回試験でした。
後から知った事情を補足しておくと、二回試験が難しくなったという事実はなく、合格率の低下は修習生のレベルが低くなったことが原因であるわけでもありません。科目ごとの追試がなくなったことが原因です。
確かに合格者数の増加により修習生のレベルの下限は低くなりました。しかし、私が知る限り、二回試験に落ちたのは、過去の修習生の中でも通用するはずの優秀層でした。修習中のあるとき、弁護士見習いの仕事として裁判所に行くと、成績的にあかんやつと出くわしました。曰く、補習の呼び出しを受けた、他のあかん連中も一緒だ、ということでした。私が日頃からこいつはあかんと思っていた面子と呼び出された面子がぴったりと一致していたので、流石は指導担当、とてもよく修習生を見てくれています。この補習の効果は絶大のようで、あかん連中は揃って合格していました。ですので、優秀層が二回試験に落ちるのは、純然たる本番の弱さからです。
過去には二回試験に落ちても追試があったので、いくら本番に弱くともスペシャルを弾くための試験で続けてやらかすことは流石になく、結果的にほぼ全員が合格していました。私はプレッシャーに人並みに弱いので、昔と違って追試がないから怖いぞと先輩たちから脅されていればプレッシャーで潰れていた可能性があり、先輩たちと遊び回っていたことが合格につながったのだと思います。結果オーライだったのでしょう、多分。
今と昔の違いは、二回試験の追試の有無だけではありません。私と私の先輩たちには就職活動もありませんでした。先輩たちにごちそうになりながらよく言われていたことがあります。弁護士の就職なんて、修習開始前に大手事務所から内定をもらうか、私のように修習中にスカウトを受けるかのどちらかだったのに、今の子達は修習中に就職活動があるから大変だよね。本当はもっといろいろな子を遊びに誘ってあげたいのだけれど、うっかりすると雇ってくださいと言われてしまうから怖くて誘えないんだよ。また先輩たちは、修習生から評判の悪い事務所に就職が決まったと報告を受けても、あそこは辞めておけと言ってしまえば、では先生が雇ってくださいと言われてしまうので、良かったねと言うしかないんだよ、とも話していました。先輩たちは、変な事務所で弁護士としてのスタートを切ってしまう子たちをどうやって立ち直らせるのかを心配していました。私は神妙な面持ちで話を聞きながら、先輩たちと同じ側から法曹の未来を憂いてお酒をおごってもらっていました。修習生の私はなぜか一人高みの見物側に回っている実に良い身分でした。
さらに、私の後輩たちには修習中にお給料が出ない時代もありました。2019年合格組から給料が復活しましたが、金額は昔の半分くらいのようです。私は修習中に遊び倒していた身分ですから、金額の多寡を論じる資格を持ちません。しかし、問題は、修習生が何を生み出すかではなく、修習生の時間が拘束されていることです。修習生には修習専念義務がありアルバイトができないうえに、希望した修習地に配属されるとも限りません。私も千葉東京埼玉で希望を出したにもかかわらず、なぜか全国屈指の人気を誇る神戸に配属されました。もし給料がもらえていなければ引越し費用から家賃からすべて持ち出しです。家を離れろバイトもするなと言われてしまえば、じゃあ生活費をくださいよというのは当たり前のことです。その当たり前が通用しない時代があったのです。
我々の時代は逆の意味で酷かった。最低限の生活の維持にとどまらない、大卒初任給よりも恵まれた給料をいただきながら、貯蓄という意識もないので、これぞ独身貴族という派手な生活を送ることができました。すでに後輩たちは給料がなくなることが決まっていたので、私は、なぜ極端から極端にいくのか、適切な水準まで減額すれば良いだけではないかと政治の無能に呆れながら豪遊していました。食事はごちそうになってばかりでしたが、ロードバイクを買ったりパソコンを買ったり旅行したりでお酒以外の遊びにもお金はかかるのです。昔の修習生給与は独身貴族が遊び倒して使い切るにちょうどよい金額でした。だからこそ限界まで遊ぶことが身についたのです。もうほんとだめな制度だ。滅びるべきですね。そして晴れて滅びました。
二回試験に追試がある、就職活動など存在しない、不必要なほどのお給料が出る、これらの条件が揃っていたからこそ、昔の司法修習は、例外なく、人生で最も楽しい時間になっていたように思えます。私はとても気が小さいので、後輩たちと修習の話をすることに警戒しています。ボーナスを握りしめてお姉さんのいるお店で初めて自分のお金で飲んで、お姉さんがのどが渇いたと言ったときの対応に苦慮する、それが司法修習中に得るべき経験であり、二回試験対策の勉強会よりもずっと人生に役立つと思うのです。