#法律の話
2025年10月10日
憲法
第二十四条 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
ここから、憲法が同性婚を想定していないことは明らかです。
では、同性婚が禁止されているかと言われると、そんなことはもちろんない。そもそも想定していないことを禁止することもありえないからです。
とはいえ、同性婚とはなんなの、という点は議論が必要に思えます。
パートナー制度を新設し、配偶者と同一の権利を付与することはなんら問題ないとは思いますが、婚姻という枠内にすることには疑問があります。憲法が同姓の婚姻を禁じてはいないという点はそのとおりなので、同姓の婚姻を認める立法が違憲ということはないとは思うのですが、憲法上保障されている婚姻と保障されていない婚姻が同一制度内に存在することが何らかの問題を生み出さないか、という点がとても気になるのです。
私の疑問の前提として、憲法24条が同性婚を保障しているか、という論点があります。
どうやら裁判官は保障していると考えているらしいのですが、それはいくらなんでも文言解釈の限界を超えていると私には思えます。
裁判官は公務員なので、世論におもねり他の裁判所の動向と歩調を合わせ、という行動をしがちですが、憲法24条が同性婚を想定していない以上、想定していないことを禁止することがないことと同様に保障しているとも考えにくいと私は思います。
なんら裁判例が出ていない状態で、司法試験で同性婚は保障されているかと出題され、保障されていると書いたら、文言解釈がわかっていないとして不合格になるのではないでしょうか?
勘違いしていただきたくないのは、私は、同性婚は明らかに当人の幸福追求権に資するし、他者を害することもないので、認めるべきだと考えていることです。
ただ、認めるために、憲法24条を、「婚姻は当事者の合意のみに基づいて成立し、両当事者が同等の権利を有することを基本として…」と書き換えるべきであると考えているのです。
憲法が想定していない事象が現れたならば、それは憲法の変えどきです。
だから変えろと。憲法改正権は最も重要な国民の権利だぞと。
憲法改正しようとすると新憲法制定とか言い出しちゃう人たちが多数いることが懸念されることはわかります。
外圧によって大日本帝国憲法との連続性が絶たれた形で改正された日本国憲法は無効であると考えたい気持ちはわかりますが、日本国民の大多数が日本国憲法の内容を是としているならば良いではないかというのが私の考えです。
日本国憲法を是としたうえで、時代の変化に応じて必要箇所を変えていくことが求められているのではないか。
禁じられていないことと保障されていることは全く別の問題であり、同性婚が保障されていない日本国憲法の不備を正すべき、というのが私の考え方です。
私は保守に分類されがちですが、リベラルの極みだと自認しています。だから憲法改正をしたがるのです。新憲法制定とか言い出しちゃう連中は敵、国民の憲法改正権を行使させない連中も敵、敵ばかりこそリベラルっぽくてとても良いではありませんか。
2025年10月23日追記
あるニュースサイトで、日本では、リベラルという言葉に良いイメージが、保守には悪いイメージがあることを前提に、アナーキストあるいは敵性国家のスパイが、リベラルを自称した上で、反日ではない=保守というレッテル貼りをしている、という議論がなされており、大いに賛同しました。私は愛国というほどでもありませんが反日ではないリベラルであるため、リベラルを自認しつつも保守扱いを受ける、ということなのだと思います。
天皇制についても、私は、男系一系というレアリティに価値の源泉があるのだから女系を許容するならば天皇制を廃止した方が良いと考えている過激派です。そのうえで、男系一系は女性天皇を許容するものの、女性天皇の御子が天皇になれないことはかわいそうだから女性天皇は望ましくない、という立場です。仮に女系一系であったならば、男性天皇は望ましくないと考えます。男女という観点からは中立的です。
私は人間の知性に期待しているので、議論が成立しない、自分の意見を固定している連中を忌み嫌っています。そのため、どのような場面でも男女差別を金科玉条として振りかざせると勘違いしている連中も、日本は絶対悪だから永遠に反省しろと私の先祖を愚弄する連中も大嫌いです。私自身は君子は豹変すを実践したいと考えていますから、このサイトは、執筆時点での私の立ち位置を示すものに過ぎません。そのため、変節した後に、ああ、その時点ではそう考えていたんだね、という反応をすることもあると思います。私が考えるリベラルは自分の考えを自由に変えられる柔軟性を重んじます。