#教育の話
私は、若い頃、人生の先輩たちから、明日に回せる仕事は明日に回せ、それが長続きする秘訣だと教えられていました。
騙されないぞ、うっかり信じでサボってしまったら酷い目に合うんだ、私をちょろいと侮っていてもそうはいかないぞ、そんなことを考えて従いませんでしたが、今から振り返ると、先輩たちが揃って心配になるくらい、私は必死だったのだと思います。しかし、それで良かったのだと思います。
若いうちは無理がききます。徹夜したところで翌日もなんとか踏ん張れます。年を取っても無理することはできますが、無理がたたって倒れます。一晩の徹夜が、翌日どころか翌々日にまで響きます。トータルではマイナスです。だから年を取った今は、無理をしないようになり、明日に回せる仕事は明日に回すようにしました。
明日に回せる仕事を選別するためには、工数見積と仕事の優先順位付けの能力が必要です。工数見積は場数を踏めば自然と身につきますが、私は不器用なので、仕事の優先順位付けは、限界を超えた業務量の中でしか身に付けられませんでした。仕事の優先順付けだけでなく、限界を超えた業務量を無理矢理こなす中でしか身につかないスキルは沢山あります。筋肉と同じで、自分を痛めつけると爆発的に能力が伸びると私は経験しています。
ワーク・ライフ・バランスを重視する若者を見ると、頑張れる時期に頑張らないと力を爆発的に伸ばせないし、その結果、優先順位付けができないまま無理ができなくなればどうにもならんぞ、と、とても心配になります。もっとも、自分たちはいつまでも下にいて、仕事は上が適切に配分すれば良いと考えているのでしょう。
逆に、昔の私のように周囲が心配になるほど頑張っている若者には、頑張れるのは若者の特権で、年を取ってから頑張ると死ぬ、具体的には数日動けなくなる、だから今のうちに死ぬまで頑張れ、死なないから心配するな、と応援したくなります。本当は口に出して励ましてあげたいのですが、それを口にした後に過労死でもされたら共犯扱いになるので、実行はしません。頑張れと言えない世の中を作り出した人たちは満足しているのでしょうか。
年齢相応のペース配分があり、それを実現するスキルを身につけるためにも若いうちは死ぬまで頑張るべきだと思うのですが、時代遅れなのでしょうか。頑張らずに老いた自分を経験していないので、答えが出せずにいます。