2025年11月11日
私が弁護士になったのは2010年12月で、当時の兵庫県弁護士会は牧歌的でしたから、先輩たちが色々と本音を教えてくれました。
その中に、弁護士が最も警戒すべきは依頼者であるという教えがありました。もちろん、依頼者を敵視するわけではなく、依頼者の主張に寄り添いすぎれば懲戒対象となりかねないし、依頼者が示した証拠のみからすべてが説明できるわけではないなどといった、訴訟技術的な教えです。依頼者に寄り添う姿勢と、依頼者を事案の全体像を把握するための一情報源としてのみ見る冷静さを両立させろということです。発言を切り取られれば、あの弁護士は依頼者の味方ではないと騒がれますから、勇気をもって後輩に本音を教えてくれた先輩方には今も感謝しています。
インハウス時代は、自分が任されている案件について一番くわしいのは自分という状態でしたから、とても仕事がやりやすかったです。今も、まとまった時間を割けるプロジェクトは、全体像を把握しながらも作業ができるので、仮に事案を把握できていないとすれば、この点について詳しく教えてくれと言えなかった自分の落ち度です。その意味で、依頼者を警戒しなくて済むぬるま湯に浸かりすぎていました。
慢心していたためか、ちょっとした法律相談に、2件続けてひっかかってしまいました。
いずれも聞かれたことに答えて法的見解を示して、それで私の仕事は終わりというつもりでした。
1件は、相談を受けた際に伝えられなかったクリティカルな情報があり、私が示した法的見解こそ正しいものの、前提が崩れたので、法的議論はさておき別の結論の方が依頼者にとってベターであったというものでした。法的に間違えたわけではありませんが、ビジネスにおける最適解を示せなかったことは私にとって屈辱です。
もう1件はかなり深刻です。ある新規事業の広告について、従業員から、この広告はまずいのではないというタレコミを受けました。たしかにまずいので、責任者は誰でどのように言っているのか聞いたところ、私の確認を得ていると社内で触れ回っているということでした。広告をよく見ると、事業内容の説明は私が監修した通りで、なんら違法性はありません。しかし、広告としては優良誤認のオンパレードです。私の監修を受けた広告が景品表示法違反という外観を作出されるところでした。弁護士として殺されかかったと認識していますから激怒しています。
組織の中で出世しやすいのは判断力がある人間です。弁護士の立場からも、最も望ましいのは、問題点を的確に抽出して聞いてくれる相談者です。
ところが、問題点を的確に抽出することは大変難しい。結局、弁護士にとっては、何も自分で判断せずにすべてを委ねてくれる相談者が一番手堅いのですが、手間がかかります。
事案の軽重によって、聞かれたことにだけ答えるという割り切りと根掘り葉掘り聞く慎重さを使い分けることが求められるのですが、情報不足の中で事案の軽重を判断することが難しい。
私がひっかかってしまった2件の担当者は、いずれも見るからにできる雰囲気の、出世コースに乗った方々でした。
うっかりそれを信じてしまった私がまだまだ未熟なのだと思います。
いずれにせよ、ビジネスは、局所的な判断が正しいだけでなく、100%正しくなければ違法になりかねません。
正しさと言っても、それが最適解であることは求められていません。違法ではない、という限りでの正しさで足ります。だから慎重さがあれば正しさ100%は実現可能です。
100%正しくなければ正しさとして認められないのはビジネスだけではありません。政治でも100%の正しさが求められます。
わかりやすいのは直近の宮城県知事選です。
村井知事の対立候補であった和田氏陣営(参政党)は、村井知事の悪行として「選挙のための土葬撤回」と掲げました。
村井知事は土葬を推進していましたが、強い反対に遭い、断念しました。また、土葬を推進している当時、東日本大震災当時に土葬がなされたという正確ではない事実認識を示しました。正確には仮土葬あるいは仮埋葬です。
断念というところがポイントで、なぜ推進しようとしていたのか動機を考えれば、「外国人労働者大量受け入れ推進」「ムスリム定住者大歓迎」「移民の権利を守る!」という評価につながりうるものです。
私は、本当に働いてくれてかつ日本人労働者に対するダンピングにならないならば外国人労働者の受け入れに反対しませんし、ムスリムであっても過激な行動や宗教の強制をしないならば宗教の自由は尊重しますし、移民に特権を与えるべきではありませんが守られるべき権利は守られることが当然なのですから、これらが悪行だとは断じて思いません。それでも、私の意見が全てではないことはもちろんであり、私が与する日本に益がある移民のみの受け入れと、近時支持を集めている移民の一律拒否と、日本破壊に向けて社会保障負担を増大させるための移民の受け入れとの決着は選挙においてつけるべきですから、これらは選挙において大きな争点になりえます。私は民主主義を尊びますから、正確な情報に基づく自主的な判断を持ち寄っての選挙結果ならば、私の考えと異なっても受け入れます。
ところが、和田陣営は、村井知事は「メガソーラー大歓迎!」と一番目立つところで主張していました。
これは事実と全く反します。村井知事は再生可能エネルギー推進ただしメガソーラーには慎重、メガソーラー開発を抑制する税制を用意、という、明確なメガソーラー慎重論者です。
村井知事が勝利した後に、オールドメディアが、ファクトチェックと称して村井知事はメガソーラーを推進していないから対立候補の指摘はデマだと評価しました。ここまでは正しい。
しかし、オールドメディアは、「村井知事は土葬を推進などしていない。ちゃんと撤回している。」から土葬を推進しているというのもデマだと評価しました。
おいおい、「選挙のための土葬撤回」を、選挙前に土葬撤回した事実をもってデマだと評価するのがファクトチェックかい?
ファクトチェックという言葉が流行っていますが、実態はこんなものです。オールドメディアがファクトチェックという名の印象操作を仕掛けてきているのが実態です。
私は立憲共産党もオールドメディアも大嫌いです。
しかし、立憲共産党やオールドメディアを攻撃する参政党も大嫌いです。
参政党は平気でデマを垂れ流します。それがオールドメディアにファクトチェックと称する印象操作の機会を与えるからです。敵の敵は味方ではなく、戦い方が下手で利敵行為を繰り返すならば敵よりも厄介です。
ビジネスでも政治でも、味方や敵の敵が100%正しい仕事の妨げとなる可能性には最大の警戒をもってあたるべきだと改めて学びました。無能な働き者について、ゼークトは良いことを言いました。