私は司法制度改革の被害者であり成功例です。
司法制度改革では、弁護士を増員すれば司法サービスが社会の隅々までいきわたり、多様な法曹像が実現できるとされました。法科大学院制度が導入され、一発勝負であった旧司法試験は廃止されました。私は司法制度改革に乗っかればウハウハだと安易に考えて弁護士を目指しましたが、力がついたころには旧司法試験の合格率は1%未満となっており、安全策をとって法科大学院経由で新司法試験に合格しています。当時は予備試験もなく、法科大学院制度のせいで合格が後れたという思いがあります。
当時の法科大学院は盛り上がっており、私の周囲にも、成功しているベンチャー企業社長や東大卒の開業医などがいました。司法制度改革は本当に華やかでした。ところが、新司法試験は半端に難しく、法律以外の出身で合格したのは、身の回りでは私だけでした。既に他分野で成功している方は見切りが早く、コスパが悪いと判断すれば即撤退したというのも、他分野出身者を取り込めなかった原因だと思います。合格が難しいことが問題ではなく、誰それ構わず法科大学院に受け入れ、時間とお金を注ぎ込ませた後に不合格をつきつける阿漕な商売が嫌われたのです。
私は弁護士になりたかったわけではなく、弁護士資格を兼ね揃えた経営学・マーケティング出身者になりたかったのですが、司法制度改革は理念を掲げるのみで具体的な進路は用意されていませんでした。やむなく自力開拓してなんとか生きていますが、その中で弁護士資格が武器になることがわかりました。弁護士法第72条により、親会社の法務部員が子会社の法務をみることにすら制限があります。そんな中で、フリーランスとして複数の企業から同時に法務の仕事をいただけるのは弁護士の特権です。今の私は弁護士資格を利用してやりたいことをして生きていられるので、司法制度改革の成功例なのだと思います。
司法制度改革による制度の混乱に苦しめられた、しかし賛同した理念を自力で実現した、というのが私なので、法曹養成には強い関心があります。今は忙しくなって退きましたが、以前は東京弁護士会法曹養成センターの副委員長を長く務めていました。
法曹養成について色々と考えてきましたが、シンプルな結論に至りました。皆が弁護士を目指して、弁護士になりたくてもなれない状態を作り出せば、弁護士の能力は担保され、社会的影響力は増して、業界が盛り上がります。そのために必要なことは2つあります。1つは弁護士の魅力を発信すること、もう1つは夢破れた場合のセーフティネットを用意することです。
個人でセーフティネットを用意することは難しいのですが、せめて弁護士の魅力は発信したいと考えています。私は弁護士の多様性の体現者なので、弁護士資格が持つ可能性を示すことも、このサイトを開設した目的です(だったら検索サイトに非表示リクエストするなと言われそうですが、それはそれ、目立ちすぎると言いたいことが言えなくなってしまいます。)。弁護士会で、弁護士の市場拡大(生前の相続対策)に向けたプロジェクトチームの座長をしているのも、職業の魅力を高めるためです。
私には、弁護士が食べられないから司法試験合格者を減らそうというネガティブな発信することが理解できません。弁護士は他人の人生や社運を預かる職業なのですから、貧しくとも虚勢を張って顧客に安心していただくことは責務です。武士は食わねど高楊枝という言葉は真理で、士業の頂点ならば相応しい振る舞いがあります。私も独立して5年くらいは食べるのが精一杯の稼ぎしかありませんでしたが、貧しさを見せないように背伸びして、高いスーツ、高い時計、高い靴でいました。お客様には見抜かれていたと思いますが、それでも、安心させようと無理をする心意気は伝わっていたと信じています。とはいえ、最近は心意気を失ってビジネスカジュアルで誰とでも会ってしまいます。年齢と自信が身についたためか、どんな格好でも丁重に扱ってもらえるので、油断してしまうのです。もっとも、それはそれで自然体という褒め言葉があるのかなと思います。なお、私は、弁護士が食べられるようになるための司法試験合格者数削減には反対ですが、合格難度を保つための一時的な司法試験合格者数削減には賛成です。
受かれば楽しいぜ、なかなか受からないけどな、受からなくっても心配するな、努力が報われる道は用意した、とチャレンジを後押しできる社会を実現したいです。それが私の法曹養成です。