#教育の話
詰め込み教育では考える力は育たないと唱える者が多いようですが、嘘です。本当に詰め込み教育を受けたのか、詰め込み教育を受ける機会を与えられながら放棄した怠け者じゃないかと思います。などと考えていて、教育は、受ける側にも資質が要求されると思い至りました。
我が身を振り返ると、テストのときのみとはいえ、大量の知識を記憶する必要に迫られ、普通に考えれば無理なので、複数の知識の共通項を割り出すための思考に没頭しました。このように考えればこの知識とこの知識とこの知識と他にも似たような知識が問われた出題に対応できる、私にとって、詰め込み教育とは、その繰り返しです。
「多すぎて詰め込めないよ」「詰め込むんだ!」「できないよ」「やれ!」
ここで諦める人間が多いのですが、諦めない素直な人間は工夫してできないことができるようになります。それこそが学習であり、詰め込み教育否定論者が強調する考える力の獲得です。
私もいろいろと考えて少しだけ賢くなりました。詰め込み教育を施す側が「やれ!」はあまりにも不親切です。
せっかくAIブームが来ました。AIという言葉が流行っていなかった時代にお手製AIを組み上げていた私も、AIの仕組みを改めて見直しました。ならば詰め込み教育の効果を高める指導もできるはずです。
「どうすれば覚えられるはずがない大量の知識を覚えたことにできるか考えてごらん。」「このように考えれば全部覚えなくても知識を再現できる。」「再現できなければ考え方が間違っている可能性が高い。」「正しい知識は、自分の考え方が正しいか確認するための材料にもなるんだよ。」「理解したならば四の五の言わずにやれ!」
何も無いところから考えても独力で至れるところまでしか登れません。考える力を育む教育など糞食らえです。
しかし、詰め込み教育の厳選された学習データを利用して学習すれば、先人たちの叡智の結晶を下地にした考える力を育むことができ、人類の最先端を切り拓くことすら現実味を帯びてきます。それこそが詰め込み教育のメリットです。