2025年12月1日
11月29、30日に、会派の研修旅行会に参加しました。
最年長は28期、最年少は77期と、参加者に50年の幅がある研修旅行会です。これは素直に誇れます。後輩に元気な姿を見せてくれる長老も、面倒くさがらずに面倒くさい連中(我々)に付き合ってくれる新人も偉く見える。なのに私を含めた中間層は駄目に見える。なぜだろう。
バスをチャーターしてガイドの方に関ヶ原の合戦場を案内してもらうという謎企画に、広大な原っぱをバスで走り回るシュールな絵面を想像していたのですが、今の関ヶ原はきれいに整備されているんだね。舗装された道路を通って、残されている家康の陣や三成の陣から戦域を眺めるという文明的な企画でした。
壬申の乱において桃配山で桃を配ったのは宮勝木実。これ絶対功績を名前にしたよね。この名前でこの功績だと出来すぎだよね。すごい名前だったので覚えました。
関ヶ原の合戦場は思ったよりもずっと狭かったのですが、その場で多くの兵が亡くなったわけで、なかなか開発してはいけないという思いが拭えたかったそうなのですが、合戦から400年たった2000年代に入ってから観光地化が進んだらしいです。
家康の陣からは戦況がよく見えない。だから業を煮やして最前線の平地に陣を移しています。三成の陣からは戦域全体がとてもよく見える。布陣をみると西軍が圧倒的なのに、調略で東軍が覆したという歴史がよくわかりました。やはり目で見るのが一番、現場に行くのが一番だという基本を思い出せました。基本を忘れたわけではないのですが、最近の私の仕事は現場がデジタル化されているから一歩も動かずに必要情報全てにアクセスできてしまうのだもの。取引先を往訪しながらテレ会議ブースを占拠して別の企業のWEB会議をはしごするという、弁護士でなければ守秘義務的にクレームが入るだろう働き方をしており、職業への信頼を勝ち取ってきた先輩方には頭が下がります。
宿泊先は長浜でした。竹生島クルーズに行ったのですが、竹生島は階段が多く、ベテランにまじってひいひい言っている中堅もいて、私は気持ちと体力だけは若いなと思いました。
その後は自由観光だったのですが、三ノ宮の別荘から長浜へのアクセスが良いので、正直、あんまり気持ちが盛り上がらず、長浜城の博物館は別の機会に回しました。
なんとなく鉄オタに写真を送るために旧長浜駅舎の鉄道スクエアに行ったのですが、ここがすごく楽しく、時間が全然足りませんでした。
あまりにも楽しいので、そのうちに三ノ宮から長浜に日帰り旅行して、長浜城と鉄道スクエアをがっつり満喫することが決定しました。comingsoonと言いたいところですが、年末年始は鉄道スクエアがお休みなので、ちょっと先になってしまいそう。
鉄道スクエアで学んだのは、明治初期、長浜駅は交通の要衝であったということです。昔は、合戦場をバスで巡ったばかりの関ヶ原と長浜は鉄道で繋がっていたらしいです。ところが、トンネル拡張の難しさなどで、京都と関ヶ原を結ぶ迂回路として米原が選ばれ、今は、米原が、京都、敦賀、関ヶ原を繋いでいます。
長浜といえば秀吉が出世した地ですが、琵琶湖の水運を仕切るのですから、とても大切です。前日にはその秀吉の死後の日本の支配権を決した関ヶ原を巡ったと。
戦国時代の終わりと明治初期の歴史を学ぶ旅、江戸時代の前後を学ぶ研修旅行であり、あれ、もしかして自分たちは高度に知的な団体なのではあるまいか、という錯覚に陥っています。一昨年の研修地は大河ドラマにちなんで浜松に、昨年の研修地は私が紅葉の兼六園が見たかったので金沢に決めたのですが、今年の勝因は意思決定に私が絡んでいないことだと思いました。なんかほんとごめん。もしかして知的じゃないのは私と広範囲の周囲だけなのではなかろうかという不安に襲われています。