2026年1月22日
先日、若手弁護士と話していて、現代の司法修習について衝撃を受けました。弁護修習においても、修習生がお客様化しているというのです。仕事に触れさせてもらえなければ、よいしょされることもない。ご飯をごちそうしてもらえることは昔と変わりませんが、熱心なスカウトはもちろん、その前提としての実力調査も受けないのです。
思えばこれは当たり前のことで、現代の修習生は、修習が始まる前に就職先を決めています。本来は、司法修習を通じて実務に触れてから身の振り方を考えるというのが筋ですし、受け入れる側にとっても、いい子がいれば採用するという目的意識が指導のモチベーションになります。現代は、それが崩れてしまいました。
充実した司法修習を過ごせずにかわいそうだと思いますが、問題は修習生側にもあるように思えます。現代の修習生には、登録したら即先輩と戦わされるという危機感がないように思えます。
順調に老害化が進行している私はいつものように自慢話をしましょう。自慢話がしたいわけではないのですが、古き良き時代を生きた老人が昔話をすると、若者にとっては自慢話になってしまうのです。
私は、弁護士は司法修習を終えたら一人前だと教わってきました。司法修習は一人前になるための最終助走期間だと考えて、プレッシャーを感じていました。二回試験など無視です。そんなことよりも、実務に出たら、いきなり先輩方を圧倒できるようにならなければと考えていました。
私の時代の司法修習はいきなり実務修習から始まり、私の場合は弁護修習スタートでした。後に元ボスとなる指導担当弁護士は、私にゴーストライターをさせてくれました。勝てそうな事件のみ触らせてくれる元ボスの配慮もあって、全部勝ちました。世の中には、そうと知らずに、修習が始まったばかりの修習生にボコボコにされた哀れな弁護士が多数存在しています。元ボスからも「相手の方が年上だ、経験がある、人数が多い、そんなことは関係なく依頼者のために戦うのが弁護士の仕事だ。自分が一番優秀だと思い込めないなら弁護士なんて辞めちまえ。」と教えられました。実力至上主義が弁護士稼業の魅力です。
実務に出てからも、私は裁判で負けたことがありません。ただし、これは決して誇れることではなく、依頼者利益の期待値最大化のみを考え、裁判を避けてきた結果です。旗色が悪い労働事件など秒でごめんなさいしてもらいます。8割9割勝てると踏んだものを取りこぼさなかったことは戦果ですが、裁判は、弁護士がやることをやって裁判官が阿呆でなければ落ち着くべきところに落ち着くので、運が悪くはなかったというに過ぎません。
そんな話をしていたら、周囲の弁護士から、裁判をしないように依頼者を説得する能力を褒められました。なるほど、私は依頼者への説明には力を入れています。
元ボスは、私と逆で、依頼者の負けても良いから戦いたいという気持ちを汲んで、依頼者の生の感情を言語化した、悪く言えば汚い書面を書いていました。そのため勝率は低かったのですが、それでも、依頼者に「元ボスは戦ってくれたのに嘘をつく相手方と騙される裁判官が悪い。次もお願いします。」と言わせていました。元ボスは、依頼者満足を依頼者の経済的利益に優先させて、裁判官を一切見ないという潔いスタイルでした。
私は、極力戦いを避けるが、戦うからには手段を選ばず必ず勝つというスタンスなので、裁判官を懐柔すべく「其方の言う事尤もなれど今回は話が違う」という、そのままコピペすれば判決書になるように書面を書きます。そんな私に対して、元ボスは「あんたの戦い方が勝てるのはわかる。けれど、あんたは一度負けた瞬間に全てを失うぞ。依頼者は、弱気な弁護士が相手におもねったから負けたと感じるはずだ。それは覚悟しておけ。」と忠告してくれました。私は、この忠告を胸に刻み、だからこそ、一見相手におもねるのは裁判官の思考を誘導するためだと納得してもらうための丁寧な説明を心がけています。判断するのは裁判官だがお金をくれるのは依頼者だという弁護士稼業の根本を元ボスに叩きこんでもらえました。司法修習が私の業態の原点です
弁護士業界には新人戦などありません。司法修習を終えた瞬間に、指導担当が相手であってもハンディなしで戦わされます。だから司法修習は、完成を急ぐために修習生も指導担当も真剣勝負のブートキャンプであるはずです。殺伐とした指導の後だからこそ指導担当にご馳走になるお酒が美味しいのです。仕事に遊びに忙しいので二回試験の勉強など一切しませんでしたが、司法修習中に飲んだお酒の美味しさで後れを取るつもりはありません。必死に戦い多くを身につけたということです。私に限らず、先輩方は皆、そのような修習を過ごしたはずです。
ところが今の修習生や若手弁護士は「研修制度の充実が就職先を選ぶ決め手でした」「今の勤務先は先輩弁護士になんでも教えてもらえます」
一見向上心にあふれるようですが、なぜその向上心を修習中に発揮しなかった?
先輩弁護士と袂を分かてば大人しく負けるんか?新人でも先輩を倒さなければという覚悟はないんか?自分が一番優秀だと思い込めておらんのか?
司法修習は二回試験予備校か?裁判官になりたいなら高得点目指して頑張ってください、だけれども、実戦になれば教官よりも自分の方が強いという自負はないんか?明日戦う資格を得るために今は大人しくしているという面従腹背の精神はないんか?
弁護士の魅力は、良い意味での無頼性、何者にも依らない力強さで、在野法曹という言葉に集約されています。ならば心に牙を持とうよ。私は元ボスに雇われている間も、戦えば自分が勝つと思っていたよ。だから早々に喧嘩別れしたけれども。
勘違いして欲しくないのは、私は大規模事務所を決して否定しないということです。ただ、その内部では、笑顔の下で腹の内を探り合う、互いに自分の方が強いと思っている、という緊張感があって然るべきだと考えているだけです。企業だって同じです。平穏無事に定年を迎えたいという人だけでは組織は回りません。我が強くて調整能力を備えたモーレツ社員が組織を牛耳ることで、初めて利益を生み出せます。弁護士は法律事務所で売上を作れる唯一の存在なのですから、唯我独尊でなければ弁護士の資格はないと私は考えています。唯我独尊でない弁護士が非弁広告業者に乗っ取られるのです。謙虚な振る舞いは社交辞令であり交渉のテクニックです。心根まで謙虚ならば弁護士など辞めてしまえ!
多様な法曹像を目指して始まった司法制度改革が、くっそくだらん法科大学院を作って、優秀層が法科大学院回避のために予備試験に殺到し、合格の早さを競う試験を招きました。中には野心の塊のような若手もいて頼もしい限りですが、多くは多様性とは無縁の大人しい優等生です。若きエリートに30歳で司法修習生になった私と同じ危機感を求めるのは酷なのでしょう。
危機感やコンプレックスは力になります。私も、若者から、「パイセンはそんな年取ってから合格っすか、馬鹿なんすね。」と思われるからこそ「舐めるな若造、こちとらお前が受かった年にはまだ勉強始めとらんわ!」という反骨心で、過去に身につけた学識を仕事で活かそうと燃え上がるのです。相互理解など幻想だというのに多様性が求められるのは、衝突の中から新しい価値が生まれるからです。若きエリートは素晴らしいことですが、若きエリートばかりだと業界の将来が不安です。弁護士業界は同じ動物は1匹ずつしかいない動物園であって欲しい。だからわけわからんものを生み出せると古き良き時代に育った老人は思います。依頼者の感情を重視する元ボスの亜種として、依頼者の説得に特化した私が生まれる。この変化こそが多様性の力です。コピーはいずれ劣化していくんやで。
とはいえ、現代の法律事務所には、お客様気分が抜けない若い新人に高い給料を出す余裕があるようです。あるいは、弁護士業界にはかつてない大好況が到来しているのかも知れません。なるほど私がなんもせんと仕事に困らないわけだ。アベノミクス万歳!知らんけど。