2026年2月12日
世間は好況ですが、相変わらず、「弁護士の経済的基盤ガー」という声が聞こえてきます。
先輩方からも「未だ経済的基盤が整っていない若手を支援」という勘違いした声が聞こえてきます。若手は余裕だって。ボスが食べさせてくれるんだから。
苦しいのは私と同じくらいの経験10年以上の弁護士です。ボスが食べさせてくれなくなった世代です。
しかし、我々の目には、食べられなくなった10年選手は見えません。元気に会派活動に励んでいるのは経済的余裕がある人ばかりだからです。自分も周囲も、経験に応じて食べられるようになっているので、食べられない10年選手が想像できないのです。
とはいえ、実際に、食べられない10年選手が不祥事を起こしていますから深刻な問題です。
ところで、弁護士会内で、法テラスの報酬を値上げすべきという議論が出ています。そんな議論を聞くたびに、正直、法テラスは制度自体をもうやめちゃえば?と思います。
司法アクセスと貧困問題は切り分けて考える必要があります。弁護士会は公的団体です。そして、司法アクセスの向上は弁護士会なくして実現できません。先人たちの努力によってそれは実現されました。ならばこそ、貧困問題まで弁護士会が手を伸ばすべきか議論が必要です。
私は、貧困問題に取り組むべきは国や自治体であると考えています。
そもそも、民事は本人訴訟が原則です。弁護士に支払う報酬を惜しむならば、ネットでもなんでも使って自力で勉強して裁判をすればよいでしょう。勝ちたいから、勉強をする時間を費やしたくないから、費用対効果を考えてプロに依頼するのです。
あるべき制度は、市役所等に行って、これこれこういう案件で弁護士に依頼したいから補助金をくれというものでしょう。その案件なら補助はいくらだと言われて、自己資金をあわせて予算ができて、その範囲で受けてくれる弁護士を探す。それが自然です。そうすれば、市民から補助が不足だという声が上がるようになり、その声が積み上がれば、いつしか選挙を通じて予算が増える。それだけの話です。
刑事はもっとシンプルで、検察が「このままだと身柄確保ができません。裁判ができません。」と弁護士会に頭を下げてきたり、報酬いくらで弁護士を公募して誰も応じなければ報酬がつり上がっていったり、それがあるべき姿です。
弁護士の経済的基盤の話をしているのに法テラスの報酬について触れざるを得ないのは、法テラスの報酬が低いから弁護士の経済的基盤が害されるという論調が存在するからです。
私にはこれも理解できません。弁護士の仕事は常に人助けです。私の仕事だって世の中の役に立っています。私がいることで、企業は円滑にサービスを実施でき、その取引先や、顧客の満足度が高まります。弁護士会委員会では、弁護士のプレゼンスを高めるための書籍執筆や法律相談会、弁護士の研鑽の場となる勉強会を企画しています。眼の前の困っている人間を救うことはもちろん尊いですが、大人数を底上げする私の仕事だって尊いんです。そして、私は余力の範囲で人助けをしています。
世の中には、富裕層から稼いで貧困層からの事件を無償または安価に受ける弁護士もいます。私は、同じスキルを提供しているのに相手によって価格を変えるのは不誠実だと考えていますから感心しませんが、それでも、自分の器の中で何をしようと自由です。人助けってそういうものでしょう?
とはいえ、完全な無報酬よりも車代くらいはもらった方が人助けのハードルが下がるという理屈は理解できます。
ならば予算を引っ張ってくるための戦略を考えるべき。そして、私は、法テラスが予算獲得の妨げになっていると考えています。
予算を決めるのは国や自治体です。国や自治体を動かす力を備えているのは市民であり公務員です。先程の話とつながるでしょう?
いくら弁護士が、法テラスの報酬は低すぎると声を上げても、それは弁護士による賃上げ交渉にしかなりません。そして、世間の理解を得ることは不可能です。10万円、20万円というお金は大金です。アルバイトならば、1か月間、フルタイムで働かなければ稼げないお金です。弁護士の経費構造は人それぞれです。自宅登録で事務職員を雇わずに家族に手伝ってもらうならば、経費は圧縮できます。そうすれば法テラスの報酬でも無理なく食べていけるはずです。
弁護士は法テラスがなければ困る弱者を代弁しているつもりなのでしょうが、弁護士が苦しみを引き受けている以上、弱者は困っていません。
そもそも弁護士が貧困問題にまで手を出すべきなのか。
人助けが目的ならばお金を求めないことが筋ではないか。
報酬増額を求めるにも法テラスという仕組みが妨げになっているのではないか。
助けた自分が苦しいから助けろ、という負の連鎖は断ち切るべきではないか。
そんなことを考えています。
2026年2月26日
気にしているせいか、法テラスの報酬問題がいたるところで耳に入ってきます。
ただ、私が低収入(売上)に慣れているので感覚が麻痺しており、深刻な問題であると感じることができません。
私のタイムフィーは、弁護士としては低めだと思います。私は割とアッパーの仕事をしているので、友人の弁護士たちからは、仕事内容に比べて報酬が安すぎるとよく指摘されます。しかし、安定受注のためにバルク売りをしていること、業務内容を選り好みしていること、会務優先などの我儘を聞いてもらうための交渉材料にしていること、から、満足しています。それでもなお、私は、時短勤務でありながら、大企業の管理職でもなかなかもらえない年収相当の売上を得ています。
経費がどうとか、払う側からしてみれば、知ったことか、です。時給5,000円を超えるサラリーマンは滅多にいない(年収1千万円以上はそれなりにいますが、管理監督者は時間外労働が当たり前です)ことを知るべきです。
そもそも経費は売上をあげるためのツールです。私はSaaSを多用して仕事量を圧縮することで、時間あたりの作業効率を高めています。時間あたりサラリーマンの2倍の成果を出すから2倍の報酬をいただける感覚です。売上に資さない経費など浪費に過ぎません。法テラスは持ち込み方式を活用して受注を安定させるためのツールだろ、本来弁護士が法テラス利用料を払うべきところ、代わりに報酬が抑えられているだけだろ、と。
そんなことを考えていると、法テラスの報酬でも全然いけるだろ、家賃人件費を遊ばせすぎているだけだろ、と思うのです。
弁護士同士で売上を比べるのではなく、その報酬は社会からどのように見えるか、ということを考えるべきではないかと思ってしまいます。お金のでどころが依頼者の財布ならば依頼者を納得させれば足りますが、社会の財布ならば社会を納得させる必要があるぞ、という当たり前のことを言っているつもりです。
訴訟を通じて弁護士がもたらす成果は訴訟物の価額を通じて評価されます。法テラス案件の多くは訴額が低く、法テラスを利用できる低所得者でなければ泣き寝入りすることが合理的な判断となる訴訟です。これに勝利することが低所得者への経済的支援になることは理解できます。しかし、経済的支援の実現方法として訴訟を選択した結果、弁護士報酬というコストがかかるならば、低所得者にも非低所得者と等しく泣き寝入りさせて、その分は生活保護などで補うことが社会にとって合理的な選択です。私はいつも、怒り心頭の経営者を、ここは回収見込みなしの損金算入した方が合理的だと説得して、泣き寝入りさせています。それだって正義です。法テラスの報酬基準を増やせば、利用者の負担が増えるか、社会の負担が増えるか、どちらかです。勝訴だろうが生活保護だろうが利用者が得られる成果が変わらないのに法テラスを利用する弁護士だけが利益を得る。そんな主張が理解を得られると考えることが理解できません。
なお、被害者を泣き寝入りさせることと、詐欺等の犯罪の取り締まりを強化することは、両立します。私は、加害者の処罰と被害者の救済は別の問題だと切り分けています。だから私はソーシャルワーカーのことを尊敬しています。私と同じことを考えている人間が多いから、ソーシャルワーカーの待遇改善が徐々に進んでいるのだと理解しています。
貧困問題まで弁護士会が手を伸ばすべきか、という本質的な議論が必要です。弁護士の経済的基盤と結びつけて議論するなど、みっともないにも程がある。武士は食わねど高楊枝の徹底は、弁護士のプレゼンスを保つために必須だと考えています。最近の私がゆるゆる過ごしているのは、どんな格好で誰と会っても尊重してもらえていると感じられるようになったからです。生活が苦しいときこそ背筋を伸ばすのだ!ぶっちゃけ、いくら外見を取り繕っても生活の窮状を簡単に見抜けますが、それでも、背伸びする心意気を示されれば向上心に期待できます。
2026年3月26日
法テラス問題が盛り上がっているらしく色々と情報が入ってくるのですが、関連議題である司法アクセスと新興系法律事務所の問題は根深いので、改めてご紹介します。
司法アクセスの議論の中で、地域を細分化して法律事務所を設置することには無理がある。だからある程度集約せざるを得ないのだが、それは新興系法律事務所が既に行っている。しかし、新興系法律事務所は事務職員による非弁行為の温床となっているから問題だ。
本当にその通りです。これは私の新人時代から抱かれていた懸念が顕在化してしまった現状です。なんで今さらこんな話を、ということなのですが、新興系法律事務所を念頭に広告指針が改正されたからです。遅いよ。
私がこれまで述べている通り、法テラスの報酬基準は実は低くないと考えています。説明不足だったので改めてご説明すると、法テラスを利用しない町弁である私が裁判をしていた時代も、ある程度以上の訴額になると、旧報酬基準では高すぎるので、いただいている顧問料など勘案しながらディスカウントしてきました。法テラスでも、訴額が大きいならば十分採算は合う、というのが私の感覚です。
しかし現実には少額案件が多い。だからとても割に合わない。
私はこれに強い疑問を覚えています。私は、私のクライアントから少額案件について相談を受けても、私の報酬で費用倒れになるから辞めときなはれと泣き寝入りさせています。それが合理的な行動です。
はっきりとわかりやすく言えば、資力がないから弁護士に依頼ができない、ということは、今となってはあり得ません。高額案件ならば、着手金無しでええで、その代わり報酬はお願いな、という弁護士はいくらでもいます。
かつて、そもそも近くに弁護士がいないという狭義の司法アクセスが実現できていなかった時代には、法テラスは機能していました。しかし、泣き寝入りを許さないという広義の司法アクセスを実現したいならば、資力がある企業等も等しく泣き寝入りしなくて済むための制度を作れ。さもなくば不平等である。狭義の司法アクセスが実現された以上、法テラスは役割を終えた、というのが前回までの私の考え。
ところがちょっと考えが変わり、狭義の司法アクセスの提供主体が新興系法律事務所しかいないならば、法テラスが踏ん張らなければならないと思い直しました。
報酬増額という点についても、法テラスという仕組み上、私たち独立弁護士と比較して泣き寝入りを求めることは難しく、割に合わない少額案件も受けざるを得ないように思えます。ならば報酬増額議論は焦点を絞って、少額案件に限って行うべきです。費用は相談者に転嫁して、ならばいいやと泣き寝入りさせることを、私は相対的にかわいそうだとは思いません。私のクライアントは日々私によって泣き寝入りを強いられているからです。
結局、狙うべきは法テラスの報酬増額ではなく、少額案件の追放であるように思えました。もちろん、報酬増額議論の背景に少額案件を収益化したいという弁護士の本音があることは承知していますが、そのために他人を巻き込むな。正義を語りながら他人に頼って金儲けとは見苦しいにもほどがある。そんな我儘は通用しないから報酬増額も実現しないのです。
泣き寝入りは正義では断じて無いので気持ち悪くはありますが、裁判という仕組みが複雑である以上、本人訴訟の原則が維持できなくなっており、我々はプロなのですから相応の報酬を求めるという因果は断ち切れず、泣き寝入りを防ぐために裁判を単純にしますか?それで公正な裁判が実現できるんですか?という議論に行き着くのであり、泣き寝入りを強いられているのは資力に乏しい法テラス利用ではなく私のクライアントを含む多数者なのですから、その議論は法テラスとは全く関係ない場所で行われるべきだよな、と考えています。
考えが変わっても修正せずに書き足していく試みは大変面白いです。日付をみるとちょうど1ヶ月の間に、法テラスの報酬増額は不要だという態度は維持しつつも、法テラスの役割は狭義の司法アクセスの実現から対新興系法律事務所に変質したのではないか、法テラス維持のために少額案件を追放すべきではないか、という考えに変化しました。
2026年3月26日
同日更新となります。
司法アクセスの議論の中で「困っていることに共感できる法曹こそ、司法過疎地に必要だ」という金言を知りました。ものすごく感動しました。同時に、まさしく法テラスが果たすべき役割であるように思えます。
私のクライアントは、どうせ私に突き返されるとおそらく覚悟しながら、少額案件も私に相談してきます。その説得の際には、私は、いつも、怒りはもっともだという共感から入ります。私のクライアントは、私が提供するカウンセリングに価値があると考えて、私に相談してくれるのだと思います。
少額案件の相談を受けたからってがっついて収益化しようとするなよ。プロボノ活動としてカウンセリングして少しでも気持ちよく泣き寝入りしてもらえよ。ちゃんと損切りすれば法テラスでも食えるはずなんだよ、計算上は。その計算を実現するためにも、少額案件に限っては報酬というよりも利用者負担を増加させてはどうか。などと思いました。