司法制度改革が失敗した理由は単純明快で、法科大学院の定員を増やしすぎたことと、予備試験受験に年齢制限を設けなかったこと、です。
法科大学院を修了すれば8割が法曹になれる、初年度は合格者として1,000人が見込まれる、それならば定員は1,250人であるべきことは自明です。法曹の質を保ちながら司法試験の合格率を高めたいならば、受験資格を得るための競争を用意するべきです。難関である法科大学院合格を勝ち取るために浪人する者が出る、というのが、本来あるべき姿でした。
優れた法曹を養成するためには法科大学院における教育プロセスが必要だ。しかし経済的な理由から法科大学院に進学できない者のために救済策が必要だ。だから予備試験という受験資格を設ける。ここまでは言葉の意味が分かります。
ならば、予備試験において求められるのは法科大学院で得られることを代替するものであるべきです。法科大学院は原則3年で、既修者は2年に短縮されます。予備試験の受験資格として、例えば3年間の社会人経験を求めるというのが相当でしょう。
ところが現実の予備試験は、年齢制限なし経験不問の一発勝負です。これは、法科大学院で得られるのは学力だけだという自白に等しいことです。その結果、必然的に、優秀ならば実力で予備試験を勝ち抜いて受験資格を手にするし、優秀でないならば時間とお金を法科大学院にかけて受験資格を買う、という現状に至りました。現代の法科大学院修了者は敗北者です。年齢制限がない予備試験の制度趣旨を読み解けばそうなります。
法科大学院制度の立て直しは簡単で、予備試験の受験資格を25歳以上にすれば良いのです。相応の人生経験があれば法科大学院で得られると同様の見識が得られる、という理由付けです。これで優秀層は必ず法科大学院を経由します。さらに、法科大学院の入試難度が高まっても、定員を増やしてこれを緩和しないことも必要です。法科大学院合格ニアリーイコール司法試験合格、法科大学院で学ぶべきは学力のその先であり、試験対策ではなく実務で役立つあるいは学問的な深みのあるカリキュラムを提供して、それぞれ独自性を出していくというのが理想です。
若く優秀な法曹の卵に回り道をさせるな、というならば、仰る通り、ならば法科大学院制度を廃止しましょう、というのも、もちろん一つの正解です。
問題は、法科大学院で何を学べるのかに尽きます。そこに価値があるならば、回り道をさせることも正当化されます。正当化できないならば、廃止してしまえばいい。私は制度の変わり目に司法試験受験を開始し、力がついてきたころに旧試験が末期となり、止む無く法科大学院を経由しましたが、法科大学院で何かを身に着けることができたとは思っていません。しかし、設立間もない法科大学院ならば、価値ある教育を提供できなくても仕方がなかったとは思っています。とはいえ、制度が始まって20年近くが経ち、未だに何も提供できないのでは、廃止した方が良いと言い切れます。価値ある教育を提供できなかったのは大学だけの責任ではなく、学生の質の低さもあったと思います。誰でも入れる法科大学院で、学力のその先を教えても、身につくはずがありません。当初から優秀な学生を厳選していれば、結果は異なっただろうと考えています。
2026年1月22日
先日、若手弁護士と話していて、現代の司法修習について衝撃を受けました。弁護修習においても、修習生がお客様化しているというのです。仕事に触れさせてもらえなければ、よいしょされることもない。ご飯をごちそうしてもらえることは昔と変わりませんが、熱心なスカウトはもちろん、その前提としての実力調査も受けないのです。
思えばこれは当たり前のことで、現代の修習生は、修習が始まる前に就職先を決めています。本来は、司法修習を通じて実務に触れてから身の振り方を考えるというのが筋ですし、受け入れる側にとっても、いい子がいれば採用するという目的意識が指導のモチベーションになります。現代は、それが崩れてしまいました。
充実した司法修習を過ごせずにかわいそうだと思いますが、問題は修習生側にもあるように思えます。現代の修習生には、登録したら即先輩と戦わされるという危機感がないように思えます。
順調に老害化が進行している私はいつものように自慢話をしましょう。自慢話がしたいわけではないのですが、古き良き時代を生きた老人が昔話をすると、若者にとっては自慢話になってしまうのです。
私は、弁護士は司法修習を終えたら一人前だと教わってきました。司法修習は一人前になるための最終助走期間だと考えて、プレッシャーを感じていました。二回試験など無視です。そんなことよりも、実務に出たら、いきなり先輩方を圧倒できるようにならなければと考えていました。
私の時代の司法修習はいきなり実務修習から始まり、私の場合は弁護修習スタートでした。後に元ボスとなる指導担当弁護士は、私にゴーストライターをさせてくれました。勝てそうな事件のみ触らせてくれる元ボスの配慮もあって、全部勝ちました。世の中には、そうと知らずに、修習が始まったばかりの修習生にボコボコにされた哀れな弁護士が多数存在しています。元ボスからも「相手の方が年上だ、経験がある、人数が多い、そんなことは関係なく依頼者のために戦うのが弁護士の仕事だ。自分が一番優秀だと思い込めないなら弁護士なんて辞めちまえ。」と教えられました。実力至上主義が弁護士稼業の魅力です。
実務に出てからも、私は裁判で負けたことがありません。ただし、これは決して誇れることではなく、依頼者利益の期待値最大化のみを考え、裁判を避けてきた結果です。旗色が悪い労働事件など秒でごめんなさいしてもらいます。8割9割勝てると踏んだものを取りこぼさなかったことは戦果ですが、裁判は、弁護士がやることをやって裁判官が阿呆でなければ落ち着くべきところに落ち着くので、運が悪くはなかったというに過ぎません。
そんな話をしていたら、周囲の弁護士から、裁判をしないように依頼者を説得する能力を褒められました。なるほど、私は依頼者への説明には力を入れています。
元ボスは、私と逆で、依頼者の負けても良いから戦いたいという気持ちを汲んで、依頼者の生の感情を言語化した、悪く言えば汚い書面を書いていました。そのため勝率は低かったのですが、それでも、依頼者に「元ボスは戦ってくれたのに嘘をつく相手方と騙される裁判官が悪い。次もお願いします。」と言わせていました。元ボスは、依頼者満足を依頼者の経済的利益に優先させて、裁判官を一切見ないという潔いスタイルでした。
私は、極力戦いを避けるが、戦うからには手段を選ばず必ず勝つというスタンスなので、裁判官を懐柔すべく「其方の言う事尤もなれど今回は話が違う」という、そのままコピペすれば判決書になるように書面を書きます。そんな私に対して、元ボスは「あんたの戦い方が勝てるのはわかる。けれど、あんたは一度負けた瞬間に全てを失うぞ。依頼者は、弱気な弁護士が相手におもねったから負けたと感じるはずだ。それは覚悟しておけ。」と忠告してくれました。私は、この忠告を胸に刻み、だからこそ、一見相手におもねるのは裁判官の思考を誘導するためだと納得してもらうための丁寧な説明を心がけています。判断するのは裁判官だがお金をくれるのは依頼者だという弁護士稼業の根本を元ボスに叩きこんでもらえました。司法修習が私の業態の原点です
弁護士業界には新人戦などありません。司法修習を終えた瞬間に、指導担当が相手であってもハンディなしで戦わされます。だから司法修習は、完成を急ぐために修習生も指導担当も真剣勝負のブートキャンプであるはずです。殺伐とした指導の後だからこそ指導担当にご馳走になるお酒が美味しいのです。仕事に遊びに忙しいので二回試験の勉強など一切しませんでしたが、司法修習中に飲んだお酒の美味しさで後れを取るつもりはありません。必死に戦い多くを身につけたということです。私に限らず、先輩方は皆、そのような修習を過ごしたはずです。
ところが今の修習生や若手弁護士は「研修制度の充実が就職先を選ぶ決め手でした」「今の勤務先は先輩弁護士になんでも教えてもらえます」
一見向上心にあふれるようですが、なぜその向上心を修習中に発揮しなかった?
先輩弁護士と袂を分かてば大人しく負けるんか?新人でも先輩を倒さなければという覚悟はないんか?自分が一番優秀だと思い込めておらんのか?
司法修習は二回試験予備校か?裁判官になりたいなら高得点目指して頑張ってください、だけれども、実戦になれば教官よりも自分の方が強いという自負はないんか?明日戦う資格を得るために今は大人しくしているという面従腹背の精神はないんか?
弁護士の魅力は、良い意味での無頼性、何者にも依らない力強さで、在野法曹という言葉に集約されています。ならば心に牙を持とうよ。私は元ボスに雇われている間も、戦えば自分が勝つと思っていたよ。だから早々に喧嘩別れしたけれども。
勘違いして欲しくないのは、私は大規模事務所を決して否定しないということです。ただ、その内部では、笑顔の下で腹の内を探り合う、互いに自分の方が強いと思っている、という緊張感があって然るべきだと考えているだけです。企業だって同じです。平穏無事に定年を迎えたいという人だけでは組織は回りません。我が強くて調整能力を備えたモーレツ社員が組織を牛耳ることで、初めて利益を生み出せます。弁護士は法律事務所で売上を作れる唯一の存在なのですから、唯我独尊でなければ弁護士の資格はないと私は考えています。唯我独尊でない弁護士が非弁広告業者に乗っ取られるのです。謙虚な振る舞いは社交辞令であり交渉のテクニックです。心根まで謙虚ならば弁護士など辞めてしまえ!
多様な法曹像を目指して始まった司法制度改革が、くっそくだらん法科大学院を作って、優秀層が法科大学院回避のために予備試験に殺到し、合格の早さを競う試験を招きました。中には野心の塊のような若手もいて頼もしい限りですが、多くは多様性とは無縁の大人しい優等生です。若きエリートに30歳で司法修習生になった私と同じ危機感を求めるのは酷なのでしょう。
危機感やコンプレックスは力になります。私も、若者から、「パイセンはそんな年取ってから合格っすか、馬鹿なんすね。」と思われるからこそ「舐めるな若造、こちとらお前が受かった年にはまだ勉強始めとらんわ!」という反骨心で、過去に身につけた学識を仕事で活かそうと燃え上がるのです。相互理解など幻想だというのに多様性が求められるのは、衝突の中から新しい価値が生まれるからです。若きエリートは素晴らしいことですが、若きエリートばかりだと業界の将来が不安です。弁護士業界は同じ動物は1匹ずつしかいない動物園であって欲しい。だからわけわからんものを生み出せると古き良き時代に育った老人は思います。依頼者の感情を重視する元ボスの亜種として、依頼者の説得に特化した私が生まれる。この変化こそが多様性の力です。コピーはいずれ劣化していくんやで。
とはいえ、現代の法律事務所には、お客様気分が抜けない若い新人に高い給料を出す余裕があるようです。あるいは、弁護士業界にはかつてない大好況が到来しているのかも知れません。なるほど私がなんもせんと仕事に困らないわけだ。アベノミクス万歳!知らんけど。
2026年2月12日
世間は好況ですが、相変わらず、「弁護士の経済的基盤ガー」という声が聞こえてきます。
先輩方からも「未だ経済的基盤が整っていない若手を支援」という勘違いした声が聞こえてきます。若手は余裕だって。ボスが食べさせてくれるんだから。
苦しいのは私と同じくらいの経験10年以上の弁護士です。ボスが食べさせてくれなくなった世代です。
しかし、我々の目には、食べられなくなった10年選手は見えません。元気に会派活動に励んでいるのは経済的余裕がある人ばかりだからです。自分も周囲も、経験に応じて食べられるようになっているので、食べられない10年選手が想像できないのです。
とはいえ、実際に、食べられない10年選手が不祥事を起こしていますから深刻な問題です。
ところで、弁護士会内で、法テラスの報酬を値上げすべきという議論が出ています。そんな議論を聞くたびに、正直、法テラスは制度自体をもうやめちゃえば?と思います。
司法アクセスと貧困問題は切り分けて考える必要があります。弁護士会は公的団体です。そして、司法アクセスの向上は弁護士会なくして実現できません。先人たちの努力によってそれは実現されました。ならばこそ、貧困問題まで弁護士会が手を伸ばすべきか議論が必要です。
私は、貧困問題に取り組むべきは国や自治体であると考えています。
そもそも、民事は本人訴訟が原則です。弁護士に支払う報酬を惜しむならば、ネットでもなんでも使って自力で勉強して裁判をすればよいでしょう。勝ちたいから、勉強をする時間を費やしたくないから、費用対効果を考えてプロに依頼するのです。
あるべき制度は、市役所等に行って、これこれこういう案件で弁護士に依頼したいから補助金をくれというものでしょう。その案件なら補助はいくらだと言われて、自己資金をあわせて予算ができて、その範囲で受けてくれる弁護士を探す。それが自然です。そうすれば、市民から補助が不足だという声が上がるようになり、その声が積み上がれば、いつしか選挙を通じて予算が増える。それだけの話です。
刑事はもっとシンプルで、弁護士がつかなければ裁判ができず身柄拘束も維持できないと検察が弁護士会に頭を下げてきたり、報酬いくらで弁護士を公募して誰も応じなければ報酬がつり上がっていったり、それがあるべき姿です。
弁護士の経済的基盤の話をしているのに法テラスの報酬について触れざるを得ないのは、法テラスの報酬が低いから弁護士の経済的基盤が害されるという論調が存在するからです。
私にはこれも理解できません。弁護士の仕事は常に人助けです。私の仕事だって世の中の役に立っています。私がいることで、企業は円滑にサービスを実施でき、その取引先や、顧客の満足度が高まります。弁護士会委員会では、弁護士のプレゼンスを高めるための書籍執筆や法律相談会、弁護士の研鑽の場となる勉強会を企画しています。眼の前の困っている人間を救うことはもちろん尊いですが、大人数を底上げする私の仕事だって尊いんです。そして、私は余力の範囲で人助けをしています。
世の中には、富裕層から稼いで貧困層からの事件を無償または安価に受ける弁護士もいます。私は、同じスキルを提供しているのに相手によって価格を変えるのは不誠実だと考えていますから感心しませんが、それでも、自分の器の中で何をしようと自由です。人助けってそういうものでしょう?
とはいえ、完全な無報酬よりも車代くらいはもらった方が人助けのハードルが下がるという理屈は理解できます。
ならば予算を引っ張ってくるための戦略を考えるべき。そして、私は、法テラスが予算獲得の妨げになっていると考えています。
予算を決めるのは国や自治体です。国や自治体を動かす力を備えているのは市民であり公務員です。先程の話とつながるでしょう?
いくら弁護士が、法テラスの報酬は低すぎると声を上げても、それは弁護士による賃上げ交渉にしかなりません。そして、世間の理解を得ることは不可能です。10万円、20万円というお金は大金です。アルバイトならば、1か月間、フルタイムで働かなければ稼げないお金です。弁護士の経費構造は人それぞれです。自宅登録で事務職員を雇わずに家族に手伝ってもらうならば、経費は圧縮できます。そうすれば法テラスの報酬でも無理なく食べていけるはずです。
弁護士は法テラスがなければ困る弱者を代弁しているつもりなのでしょうが、弁護士が苦しみを引き受けている以上、弱者は困っていません。
そもそも弁護士が貧困問題にまで手を出すべきなのか。
人助けが目的ならばお金を求めないことが筋ではないか。
報酬増額を求めるにも法テラスという仕組みが妨げになっているのではないか。
助けた自分が苦しいから助けろ、という負の連鎖は断ち切るべきではないか。
そんなことを考えています。
2026年2月26日
気にしているせいか、法テラスの報酬問題がいたるところで耳に入ってきます。
ただ、私が低収入(売上)に慣れているので感覚が麻痺しており、深刻な問題であると感じることができません。
私のタイムフィーは、弁護士としては低めだと思います。私は割とアッパーの仕事をしているので、友人の弁護士たちからは、仕事内容に比べて報酬が安すぎるとよく指摘されます。しかし、安定受注のためにバルク売りをしていること、業務内容を選り好みしていること、会務優先などの我儘を聞いてもらうための交渉材料にしていること、から、満足しています。それでもなお、私は、時短勤務でありながら、大企業の管理職でもなかなかもらえない年収相当の売上を得ています。
経費がどうとか、払う側からしてみれば、知ったことか、です。時給5,000円を超えるサラリーマンは滅多にいない(年収1千万円以上はそれなりにいますが、管理監督者は時間外労働が当たり前です)ことを知るべきです。
そもそも経費は売上をあげるためのツールです。私はSaaSを多用して仕事量を圧縮することで、時間あたりの作業効率を高めています。時間あたりサラリーマンの2倍以上の成果を出すから2倍の報酬をいただける感覚です。売上に資さない経費など浪費に過ぎません。法テラスは持ち込み方式を活用して受注を安定させるためのツールだろ、本来弁護士が法テラス利用料を払うべきところ、代わりに報酬が抑えられているだけだろ、と。
そんなことを考えていると、法テラスの報酬でも全然いけるだろ、家賃人件費を遊ばせすぎているだけだろ、と思うのです。
弁護士同士で売上を比べるのではなく、その報酬は社会からどのように見えるか、ということを考えるべきではないかと思ってしまいます。お金のでどころが依頼者の財布ならば依頼者を納得させれば足りますが、社会の財布ならば社会を納得させる必要があるぞ、という当たり前のことを言っているつもりです。
訴訟を通じて弁護士がもたらす成果は訴訟物の価額を通じて評価されます。法テラス案件の多くは訴額が低く、法テラスを利用できる低所得者でなければ泣き寝入りすることが合理的な判断となる訴訟です。これに勝利することが低所得者への経済的支援になることは理解できます。しかし、経済的支援の実現方法として訴訟を選択した結果、弁護士報酬というコストがかかるならば、低所得者にも非低所得者と等しく泣き寝入りさせて、その分は生活保護などで補うことが社会にとって合理的な選択です。私はいつも、怒り心頭の経営者を、ここは回収見込みなしの損金算入した方が合理的だと説得して、泣き寝入りさせています。それだって正義です。法テラスの報酬基準を増やせば、利用者の負担が増えるか、社会の負担が増えるか、どちらかです。勝訴だろうが生活保護だろうが利用者が得られる成果が変わらないのに法テラスを利用する弁護士だけが利益を得る。そんな主張が理解を得られると考えることが理解できません。
なお、被害者を泣き寝入りさせることと、詐欺等の犯罪の取り締まりを強化することは、両立します。私は、加害者の処罰と被害者の救済は別の問題だと切り分けています。だから私はソーシャルワーカーのことを尊敬しています。私と同じことを考えている人間が多いから、ソーシャルワーカーの待遇改善が徐々に進んでいるのだと理解しています。
貧困問題まで弁護士会が手を伸ばすべきか、という本質的な議論が必要です。弁護士の経済的基盤と結びつけて議論するなど、みっともないにも程がある。武士は食わねど高楊枝の徹底は、弁護士のプレゼンスを保つために必須だと考えています。最近の私がゆるゆる過ごしているのは、どんな格好で誰と会っても尊重してもらえていると感じられるようになったからです。生活が苦しいときこそ背筋を伸ばすのだ!ぶっちゃけ、いくら外見を取り繕っても生活の窮状を簡単に見抜けますが、それでも、背伸びする心意気を示されれば向上心に期待できます。
2026年3月26日
法テラス問題が盛り上がっているらしく色々と情報が入ってくるのですが、関連議題である司法アクセスと新興系法律事務所の問題は根深いので、改めてご紹介します。
司法アクセスの議論の中で、地域を細分化して法律事務所を設置することには無理がある。だからある程度集約せざるを得ないのだが、それは新興系法律事務所が既に行っている。しかし、新興系法律事務所は事務職員による非弁行為の温床となっているから問題だ。
本当にその通りです。これは私の新人時代から抱かれていた懸念が顕在化してしまった現状です。なんで今さらこんな話を、ということなのですが、新興系法律事務所を念頭に広告指針が改正されたからです。遅いよ。
私がこれまで述べている通り、法テラスの報酬基準は実は低くないと考えています。説明不足だったので改めてご説明すると、法テラスを利用しない町弁である私が裁判をしていた時代も、ある程度以上の訴額になると、旧報酬基準では高すぎるので、いただいている顧問料など勘案しながらディスカウントしてきました。法テラスでも、訴額が大きいならば十分採算は合う、というのが私の感覚です。
しかし現実には少額案件が多い。だからとても割に合わない。
私はこれに強い疑問を覚えています。私は、私のクライアントから少額案件について相談を受けても、私の報酬で費用倒れになるから辞めときなはれと泣き寝入りさせています。それが合理的な行動です。
はっきりとわかりやすく言えば、資力がないから弁護士に依頼ができない、ということは、今となってはあり得ません。高額案件ならば、着手金無しでええで、その代わり成功報酬はお願いな、という弁護士はいくらでもいます。
かつて、そもそも近くに弁護士がいないという狭義の司法アクセスが実現できていなかった時代には、法テラスは機能していました。しかし、泣き寝入りを許さないという広義の司法アクセスを実現したいならば、資力がある企業等も等しく泣き寝入りしなくて済むための制度を作れ。さもなくば不平等である。狭義の司法アクセスが実現された以上、法テラスは役割を終えた、というのが前回までの私の考え。
ところがちょっと考えが変わり、狭義の司法アクセスの提供主体が新興系法律事務所しかいないならば、法テラスが踏ん張らなければならないと思い直しました。
報酬増額という点についても、法テラスという仕組み上、私たち独立弁護士と比較して泣き寝入りを求めることは難しく、割に合わない少額案件も受けざるを得ないように思えます。ならば報酬増額議論は焦点を絞って、少額案件に限って行うべきです。費用は相談者に転嫁して、ならばいいやと泣き寝入りさせることを、私は相対的にかわいそうだとは思いません。私のクライアントは日々私によって泣き寝入りを強いられているからです。
結局、狙うべきは法テラスの報酬増額ではなく、少額案件の追放であるように思えました。もちろん、報酬増額議論の背景に少額案件を収益化したいという弁護士の本音があることは承知していますが、そのために他人を巻き込むな。正義を語りながら他人に頼って金儲けとは見苦しいにもほどがある。そんな我儘は通用しないから報酬増額も実現しないのです。
泣き寝入りは正義では断じて無いので気持ち悪くはありますが、裁判という仕組みが複雑である以上、本人訴訟の原則が維持できなくなっており、我々はプロなのですから相応の報酬を求めるという因果は断ち切れず、泣き寝入りを防ぐために裁判を単純にしますか?それで公正な裁判が実現できるんですか?という議論に行き着くのであり、泣き寝入りを強いられているのは資力に乏しい法テラス利用者ではなく私のクライアントを含む多数者なのですから、その議論は法テラスとは全く関係ない場所で行われるべきだよな、と考えています。
考えが変わっても修正せずに書き足していく試みは大変面白いです。日付をみるとちょうど1ヶ月の間に、法テラスの報酬増額は不要だという態度は維持しつつも、法テラスの役割は狭義の司法アクセスの実現から対新興系法律事務所に変質したのではないか、法テラス維持のために少額案件を追放すべきではないか、という考えに変化しました。
2026年3月26日
同日更新となります。
司法アクセスの議論の中で「困っていることに共感できる法曹こそ、司法過疎地に必要だ」という金言を知りました。ものすごく感動しました。同時に、まさしく法テラスが果たすべき役割であるように思えます。
私のクライアントは、どうせ私に突き返されるとおそらく覚悟しながら、少額案件も私に相談してきます。その説得の際には、私は、いつも、怒りはもっともだという共感から入ります。私のクライアントは、私が提供するカウンセリングに価値があると考えて、私に相談してくれるのだと思います。
少額案件の相談を受けたからってがっついて収益化しようとするなよ。プロボノ活動としてカウンセリングして少しでも気持ちよく泣き寝入りしてもらえよ。ちゃんと損切りすれば法テラスでも食えるはずなんだよ、計算上は。その計算を実現するためにも、少額案件に限っては報酬というよりも利用者負担を増加させてはどうか。などと思いました。
2026年8月4日
国選弁護報酬についての議論がますます盛り上がっていますね。気持ちはよくわかります。私も若い頃は、自家用車をガソリン代自腹で片道1時間以上走らせて、都合4時間近くかけての接見で8,000円くらい(うろ覚え)しかもらえないのかと絶望していました。しかし、私が事務所を空けている時間も、ボスは私に給与を払ってくれましたし、国選の報酬は全部私が受け取れたので、申し訳ないという気持ちが先立っていました。
民事法律扶助については、少額案件追放が一つの答えだと確信しています。私は、クライアントに対して、訴額が数十万円ならば費用倒れするからと日々損切りを迫っています。貧しい個人と豊かな会社ではお金の価値が違う?違わねーよ!誰もが無駄遣いしないで頑張ってんだよ!むしろ無駄遣いしないから豊かになるんだよ!だから私は豊かになれないんだよ!無駄遣いと知りつつも節税の誘惑に抗えない。
国選弁護への答えは、私の中では決まっています。もうね。ボイコットしようぜ?困るの誰?実は被告人じゃないよ?一番困るの検察だよ?その構造は理解しようぜ。その構造を理解できたならば、弁護士が苦しむ必要はないとわかるでしょう。大先輩方の中には、憎き犯罪者を有罪にするための舞台装置として国選弁護をする猛者もいたと聞き及んでいます。でも、今はそれやっちゃ駄目でしょ?だったらボイコットしたって罰は当たらんぜ。
なんで弁護士会が困っているのかが、私には本当にわかりません。
絶対に勘違いしてほしくないのは、私は被疑者被告人の権利を軽んじているわけではなく、むしろ、それを実現するための手段を真剣に考えている、ということです。予算がつけば制度は充実する、その当たり前を実現したいのです。
2026年8月5日
国選弁護について、名簿登録者が不足すれば弁護士自治が失われる、究極的には国選を拒否する弁護士は弁護士法第24条違反になる、という極論を目にしました。
おそらく私の方が極論に見えるのでしょうが、いいからやってみなって、もとい、いいから辞めてみなって。
実は国選弁護の担い手不足の原因は低廉な報酬ではありません。弁護士の好況と刑弁族の暴走です。
私が弁護士になった2010年は、牧歌的な時代が終わろうとしている時期でした。新人弁護士は国選名簿への登録を強いられ、しかも、年末年始などの待機日を割り当てられていました。私も、先輩方も通った道だと納得していました。
その後、すぐに弁護士不況が訪れました。弁護士の需要以上に供給がなされ、食えない弁護士が続出し、国選弁護の待機日交代をMLでお願いすれば、一瞬で複数人が引き取ってくれるという状況でした。待機日交代を自動で引き受けるようにメールサーバーやメーラーを設定している者もいたらしいです。これは、国選でも手を抜けば立派な収入源になることを意味しています。
同時期に、刑弁族が暴走を始めました。新人に押し付けられていた国選弁護を資格制に変更し、刑弁族は優秀だと誇るようになったのです。
ところで、私はM&Aを扱うことが多いのですが、近年はその規模が小さくなっていると感じています。私がサラリーマンとしてM&Aを扱っていたころは、買収対象たりうるのはそこそこの企業ばかりでした。買収の目的は、将来の収益や会社資産といった経済的利益であり、損得勘定からのM&Aでした。億単位のお金が簡単に動くので、DDは、本当に段ボール箱を積み上げた部屋の中で行っていました。マンパワーを必要とする分、会計士や弁護士に依頼すれば報酬は数百万円スタートの仕事になります。
近年は、事業部門をゼロから立ち上げるよりはパッケージで買った方が安いよね、という発想で、数百万円から数千万円のM&Aが急増しています。自社の工数削減が目的で、経済的利益というよりも、気軽に新分野にチャレンジすることが目的です。件数も激増し、だからM&A仲介業者が潤っています。数百万円のM&Aのために会計士や弁護士に数百万円支払う馬鹿はいません。私の仕事も、自ら手を動かすのではなく、ヒアリングを重ねて想像力を働かせて、どの資料だけは必ず買収実行前に確認しろ、隠そうとしたらクロだ、などとアドバイスすることに変質しました。
得られる報酬、仕事の大きさによって、力の入れ具合を変えるのは当然のことです。安かろう悪かろうは駄目ですが、安かろうそれなりだろうを許容すべきというのが私のプロ意識です。
国選弁護のボイコット提案に話を戻しましょう。もうボイコットの結末は予測できましたね。食えない弁護士による大量受任と手抜きの連発です。
そこでこそ弁護士会の出番ですよ。弁護士自治は弁護士を守るだけでなく弁護士を縛るものなので、手の抜き方にも節度があるぞと目を光らせるです。
その結果、なり手不足になれば、いよいよ報酬が少なすぎると言える材料が整います。どれだけ省力化してもモームリならば、弁護士法第24条の義務を負わないための正当な理由になると考えます。万が一、弁護士が安い国選を強いられる状況になったら、弁護士が国を訴えて大変な騒ぎになると思いますよ。おそらくそうなる前に、食えない弁護士が節度を守るようになるか報酬増額がなされるかどちらかで落着します。だから、いいから辞めてみなって、と考えているのです。
弁護士は最強の国家資格です。他人の交渉事にお金をもらって介入することが許された唯一の資格です。
そして、最強の国家資格であるにもかかわらず、国家の管理を離れて、弁護士会が独自に管理しています。管理というのは、悪さをした弁護士を懲戒する権利を持っているということです。これを弁護士自治といいます。
2025年4月現在、私は日本弁護士連合会の会費と東京弁護士会の会費を合計して毎月3万円くらい払っています。いつの間にかずいぶんと安くなりました。月5万円くらいのイメージだったのですが、弁護士会館建設費用の特別徴収期間が終わり、少しずつ値下げ決議が繰り返され、今では3万円を切っていることに驚きました。
私が毎月3万円を安いと感るのは、昔もっと高かったからと、なぜ弁護士会費が高いのかを理解しているからですが、多くの弁護士は高いと感じているようです。
私の理解では、弁護士会とは弁護士自治とイコールで、弁護士自治を守るための費用として弁護士会費を徴収しています。弁護士会は、弁護士への苦情の受け皿となり、弁護士の素養を維持するための研修を提供し、弁護士の使命である社会正義の実現と人権擁護を果たすために法律相談等の事業を行い、公正な自治を実現するために弁護士会内で選挙を行っています。だからお金がかかります。
弁護士会費が高いという弁護士にそのことを説明しても、弁護士会がなくなれば、代わりに国がそれらを担ってくれるのだから問題ないと言われてしまいます。弁護士自治が失われることの怖さを理解できていないのです。
弁護士会は、弁護士自治について、かつて弁護士資格を国が管理していた時代に、国にとって不都合な弁護士が資格を奪われていたから、それを防ぐために必要だと説明しています。
しかし、もし現代社会において、国を鋭く糾弾する弁護士が不当な資格はく奪を受ければ、インターネットで大炎上し、政権転覆待ったなしです。国と戦うために弁護士自治が必要だというのは過去の話で、現代における弁護士自治の正当化根拠としては時代錯誤も甚だしいと思います。私が納得できない説明をしているから、弁護士自治は要らないと考える弁護士の登場を許してしまうのです。
弁護士自治が必要なのは、弁護士という職業の特殊性からです。弁護士は、民事事件では代理人を名乗り、刑事事件では弁護人を名乗ります。だから弁護士の本籍地は刑事事件だと言われています。私が刑事事件を扱っていたのは新人時代だけで、今は一切やりませんし、ほとんどの弁護士が、取り扱い事件の9割以上が民事事件です。それでも私は、弁護士の本籍地は刑事事件だと言われて納得しています。弁護士という職業の特殊性を端的に表しているからです。
私たちは契約書を作成する際に、反社会的勢力を排除する条項を書き込みますが、それでも、反社会的勢力の当番弁護が回ってくれば受けざるを得ません。これが弁護士のすべてです。民事事件では、人を殴って怪我をさせてしまった被告の代理人として損害賠償の減額を求めて戦います。本質は刑事事件と変わりません。
弁護士は、ややこしい依頼者の依頼を受けて動くことがあります。私の依頼者はクリーンな企業ばかりですが、それでも、その役員や従業員が悪さをしてしまう可能性は拭いきれません。そのような場合には、企業は加害者の立場になってしまうでしょう。弁護士の本籍地は刑事事件だと言われるのは、名乗り方だけの問題ではないのです。
ややこしい依頼者や、やらかした依頼者の代理人や弁護人として活動する以上、きれいごとだけでは仕事はできません。男性依頼者の愛人が妊娠し、代理人として依頼者の家族に知られないように注意しながら、愛人に解決金を払って中絶してもらう、ということもあるでしょう。企業で横領事件が起これば、新聞沙汰になって社会からの信用を失わないように、あえて警察への被害申告をせずに、自発的な退職と損害賠償の話をまとめることもするでしょう。
そんな仕事をしていれば、夫の愛人の妊娠中絶を知ってしまった妻から恨まれたり、不祥事に気づいた株主からなぜ警察に被害申告しないのかと責められたりもするでしょう。懲戒請求を出されることもあるでしょう。
私は、懲戒請求を受けることがあれば、同業者から見ても一線を超えてしまっていないか、という視点から判断してもらいたいです。同業者から、あんたも苦労しとるな、と思ってもらいたいです。同業者から見てもあかんことをしたとわかれば、反省して懲戒処分を受け入れます。
もし、懲戒請求の是非を市民感覚で判断されてしまえば、きれいごとを徹底しなければ懲戒処分されてしまうでしょう。裁判官が裁くのだとしても、公務員に、我々泥水をすすって生きている在野法曹のことがわかるはずがないと思います。私は弁護士として、まともに生きている社会人にはできない解決ができることに誇りを抱いています。
弁護士という職業の特殊性から、極限状況の中で、きれいごとではない解決が最善策となる場面に出くわすことが珍しくありません。弁護士自治がなければ、懲戒が怖くて、きれいごとではない解決をすることができなくなります。依頼者にとってはサービスの質が落ちるということです。弁護士自治は、弁護士のみならず、依頼者にとっても必要な制度なのですが、それを失っても良いと考える弁護士が増えていることに強い危機感を抱いています。
弁護士会内には会派と呼ばれる親睦団体があります。派閥と呼ばれることもあり、元々は、弁護士会長を出すための政治的な団体だったそうです。私が所属するのは500人程度の団体で、その中で弁護士会長になりたいと考えている人間は10人いないと思います。98%以上にとって、会派とは純然たる親睦団体です。ただ、会長になりたいという仲間がいれば、そうかそうか、じゃあ会長にしよう、祭りじゃ!といって楽しんでいます。政治とはお祭りで、候補者は神輿であり、担ぎ手もわっしょいできれば楽しいのです。そのため、私は、会派の本質は親睦であると信じて楽しんでいます。
以前、後輩から、会派は成功者の集いだと言われて、ショックを受けました。ドラマで見る悪い政治家や弁護士のように高級料亭での密談などごくまれにしか発生しません。先輩から、やたらと高そうなお店に呼び出されると悪い予感しかしません。私の経験上、100%、面倒くさい仕事が降ってきます。何万円か知らんけどここの食事代出すから逃げ出させて、と思うのですが、逃げ出せません。私が逃げ出せないなら先輩も高い食事をご馳走してくれる必要もないのですが、死地に送り出す兵卒へのせめてもの誠意なのでしょう。会派で高いお店に行く機会はそのくらいです。普段は、お姉さんのいるお店に行くこともほとんどなく、リーズナブルで料理が美味しいお店で食欲を満たしたら、後は延々大衆居酒屋やカジュアルなバーで飲んだくれています。そのため、私には、成功者の集いというイメージは一切ありませんでした。
ところで、弁護士は、法律という芸で身を立てる芸人です。職業を問われれば自由業と答えますし、堅気ではありません。そんな弁護士業界には、芸歴の長さを示す司法修習期によって上下関係を定めるという鉄の掟があります。
ただし、芸歴が長くなると立場が弱くなっていきます。老い先短い年寄りは未来ある若者に奉仕しなければならないという価値観です。若者発見!逃げられないように囲んで接待さしあげろ!高齢化が進んだコミュニティは自然とそうなります。下が自分より儲けていようが関係ありません。期が上ならば黙って財布を出すのがお笑い芸人の掟です。
若者は年寄りの財布を使えるのでお金を気にせずに参加できる文化なのですが、それがピラミッド構造を招いています。若いころは頻繁に顔を出していた連中が、お財布を期待される年次になると消えてしまうのです。
私は上から受けた恩は下に返せと育てられ、上からさんざご馳走になってきたので、然るべき年次になった今は、下を連れて飲み歩き、芸人文化を後世に伝えることが自らの使命であると考えています。ご馳走する側になると、安いお店で飲み歩いても、一晩に何万円かかり、それが月に何回か、年に100万円を優に超える飲食費になります。ざっくり試算すると、私が生涯でご馳走になるのは少なくとも500万円以上、ご馳走していくのは少なくとも1,500万円以上です。途中離脱者が多い中でも3倍程度で収まっているのは、私が特別多くご馳走になってきたからです。そんな計算をしていて、私もようやく気づきました。会派の中でお財布担当のお勤めを果たせるのは、生涯で8桁円を後輩にご馳走できる頭がおかしい人間だけです。人格的な是非はともかく、それが可能であるという一点において世間的には成功者と言えなくもないようで、後輩の言葉にも一理あるとわかりました。
会派に所属しているとお金が出ていくばかりですが、良いこともあります。例えば友人たちとおっさん旅しようぜと企画するとき、予算を気にせずに済むのです。互いの財布を気にせずに旅行を楽しめる友人がどれほど貴重か。しかも、友人たちはいずれも成功した同業者なので、仕事の相談もできますし、刺激を受けることも多いです。私にとっては、そんな、気兼ねなく付き合える友人たちと出会えることが会派の存在意義であり、私が参加する目的です。なるほど、私は、成功者の集いだからこそ魅力を感じて参加しているのかも知れません。
2026年10月1日
会派には、政策形成・人事推薦機能、研鑽・教育機能、親睦機能があると言われています。
親睦機能が一番大切で、私はよく、若手に対して「あのな。わしらは酒飲みの団体で、酒飲むために集まっとるんや。せやけど酒だけ飲んどったらみっともないし経費で落とせんやろが。せやから仕方なく真面目な企画立ててその後の懇親会っちゅう体でおるんや。せやのに企画だけ出て懇親会に出ないっちゅうのは本末転倒やで。」と説教をします。ベテランがいる場で説教をすると、若手は「このおっさん無茶苦茶言うとるけど大丈夫なんか?怖いベテランがおるのに気づいとらんのか?」とフリーズしてしまいます。すると、ベテランは「柿沼の言うとおりだぞ。会派は世代を問わず親睦を深めて、弁護士としてレベルアップするための団体なんだから。」と助け舟を出してくれます。
若い頃は、親睦9:研修1:政策0という割合で関与していたような気がするのですが、最近は、どの機能にも平準的にコミットしている印象です。政策形成機能については後述するとして、私はリアルガチにプロの研修講師兼プランナーなので、企業からの依頼、東弁での活動に加えて、会派でも大変忙しいです。真面目な政策議論や研修の後には懇親会があります。ほらな。ちゃんと3つの機能にコミットしとるやろ?
そんなわけで、先日、会派の結構センシティブな政策議論に参加してきました。
弁護士業界では、15年目までは若手扱いです。若手の意見を尊重しよう、という趣旨で、15年目までの若手は、法曹親和会に加えて親和全期会の会員となります。そして、親和全期会は法曹親和会から独立して各種意見を発出します。2025年12月に弁護士生活満15年を迎えた私は、昨年度までは、若手界の長老(親和全期会会務政策委員長)として、親和全期会の意見を取りまとめていました。今年度からは古参界の新人(法曹親和会会務委員)です。
法曹親和会とその二次団体の二一会はとても風通しが良く、私も、昔から、私の意見も聞きたいと頻繁に発言機会を与えてもらいました。おかげで、シャイな私も、古参界では新人ながら言いたいことが言えます。先日の議論でも、私は、これ慎重に態度決めなあかんな、と思っているのに、大筋賛成でまとまりそうになったので、チョ・マテヨ、と慎重意見を出しました。法曹親和会には、一番下っ端の私の意見を受けて議論を深めてくれる懐の深さがあります。
その後の飲み会でも、上は下にご馳走しなければならないというお笑い芸人の掟に従い、アラフィフの私は年金受給者たちからご馳走になりました。参加者の年齢と支出額を匿名で整理したならば、8050問題を思わせる地獄のような数字になるでしょう。現実は数字だけからはわからない、だから議論が必要だし、親睦も必要だ、ということで綺麗に落ちるかな、と思いました。落ちがつかないと落ち着かない。
2026年10月15日
会派というのは凄い組織です。私の人生はただ流されるだけで、弁護士会や会派で色々やっていますが、全て仕事が降ってきたから対応しているだけです。
ただ、気がつくと、私が行っている活動は、政策、人事、研修に大きく偏っていました。会派は親睦団体なので遊びの企画が、弁護士会は人権団体なので人権擁護活動が、主たる任務です。私はド真ん中にいるようでいて、実は主たる任務にほとんど絡んでいません。それが、極自然に、先輩方から降ってくる仕事をこなしていた結果実現されていることに驚きを覚えます。
私も人を選ぶことが多いポジションになってきました。その際には、誰にはどの仕事が向いていそう、ということを考えます。なるほど、親睦機能は、為人(ひととなり)を見抜くための時間なのです。などという発想をしてしまうことが、私に現在の役割が与えられた理由です。
私は、家政婦は見た!やビートたけしの事情通ネタが大好きです。当事者にはなりたくないが、震源地近くで観測したい。偶然居合わせた体で、あらやだ、と言いたい。ただ、権謀術数に生きるだけだと格好悪いので、世間様に対して格好をつけるためにアカデミックな色も出していきたい。会派のおかげで、やりたいこととやるべきことが一致したとき、世界の声が聞こえる!的な感じになってきたので、会派もどっぷり浸かると楽しいものだよと、こっそり訴えたい。
2025年10月18日
弁護士業界には多重会務者という言葉の響きからして闇のオーラに包まれている人種が存在しています。言葉の通り、会務が重なってその負担に苦しんでいるかわいそうな人です。
多重会務者の比率は単位会(地方裁判所に対応して設置される東京弁護士会とか千葉県弁護士会とかのことです)によって大きく異なります。2025年10月1日現在、最大の単位会である東京弁護士会は会員数9,450人であるのに対して最小の函館弁護士会は51人です。にもかかわらず、弁護士会としては同等の機能(特に重要なのは懲戒制度や倫理研修制度などの弁護士自治の中核をなす機能です)を備えなければならないので、小さな弁護士会ほど多重会務者の比率が高くなります。
私は最大の単位会である東京弁護士会に所属しています。にもかかわらず多重会務者です。ふざけんな。
スタートがいけないのです。私は新人時代を兵庫県弁護士会で過ごし、当然のように多重会務者でした。その後、東京に移ったのですが、東京は人数が多いのだから一人あたりの負担は小さいはず、という思い込みと、皆が働いているのに自分だけ働かないなど気持ちが悪いという倫理観から、簡単な作業(司法試験後に配布するアンケートの袋詰めでした)に手を挙げてしまったのです。年に数時間で済むなら楽なものじゃない、という軽いノリでした。
ところが、100人くらいいる委員会であるにもかかわらず、作業に参加するのは10人くらいです。10人もいれば人手は足りるのですが、何をなすにもこの10人くらいで回します。
委員会だけならば良いのです。私は会派の構成員ですから、そちらの仕事も大量に発生します。勉強会やろうぜ、研修旅行しようぜ、飲みに行くだけだと格好がつかないから飲みに行く前にそれっぽいことしようぜ、という準備が発生するからです。
私は、法曹親和会系2次団体二一会(東京弁護士会系の3次団体とも言えます)に所属しており、法曹親和会内には若手(といっても15年目まで)のみで構成される親和全期会が存在しています。去年の私は二一会事務局長、今年の私は法曹親和会事務次長兼親和全期会会務政策委員長です。どうみても闇の勢力です。本当にありがとうございました。
さらに、最近知ったのですが、会派には人出しという恐ろしい機能があるのです。
会派について語るには、大規模会特有の事情について説明する必要があります。
私が新人時代に所属していた兵庫県弁護士会は、当時、本庁(地方裁判所に支部がある場合、支部に応じて弁護士会にも支部が設置されます)の会員数が400人を超えたくらいでした。毎年の増員のみの顔を覚えていけば全員の顔を覚えられるというシステムがまさに限界を迎えようとしている時期でしたが、新人である私が弁護士会館に行くと、役員や職員の方々が、柿沼先生と声をかけてくれました。おっかない先輩もたくさんいて、「柿沼先生、新人は何事も勉強だよ、わかっているよね」と脅されて、押忍の精神で、法律相談や国選弁護の名簿に登録させられていました。ムラ社会である小規模会では、こんな感じで、ほぼ全員が多重会務者に沈められます。
ところが大規模会になると、誰も新人の顔を把握していません。顔を把握していることを前提に初動で脅して沼に沈めるという我々の業界の伝統的手法が採れないのです。日本人特効の「みんなやっているよ」も使えません。その結果、放っておくと誰も会務をしないという恐ろしい状況になってしまいます。
ただ、弁護士は私のような寂しがり屋が多いので、会派が活発です。「会派に所属するとどうなるんですか?」「先輩のお金で酒が飲めるぜウェーイ!」なので、若者のなんとか離れシリーズに会派離れが加わっているにもかかわらず、若者の絶対数の多さから会派は今でも元気です、ウェーイ!
私は東京弁護士会のことしか知りませんが、東京弁護士会は会派を巧みに利用しており、生贄が必要になると、では、●●会からは何人出してください、という徴収指示が出されます。私は中間管理職なので「やあやあなんとか先生、そういうわけで、何々に就任してください。まあまあ悪いことは言わないからトラストミー」と言って人さらいに励むこともあります。私が伝統的手法の継承者でいられるのは、あの人いつもひどい目にあっているよね、と周知されるくらい汗をかいているからです。
人出しをするようになると難しさがわかります。近い内にどんな要請が来るはずだから誰は温存しておこう、誰は今のうちから訓練されたソルジャーに育てよう、などと計画性が求められます。なんでボランティアに計画性があるんですかね、それがわからない。
わからないことだらけなのですが、とにかく私は多重会務者なのでとても忙しいのです。さあ、今月中に予算要求書と理由説明書と相談会企画書と勉強会企画書と意見照会回答書2通と原稿のゲラ修正3冊分をやっつけるぞ、と。いつ働いているのだろうか。こんなんだから週に30時間未満しかお金を稼ぐ時間が捻出できないのです。
2026年1月14日
以前、弁護士の友人が「弁護士になってから一日も休んだことがない」とぼやいていました。
すわっ!そんなに忙しいの?と驚いたのですが、よくよく聞いたら、「土日だろうが旅行中だろうが日に1回はメールをチェックするし、緊急対応のスタンバイはしている」とのことでした。
…私も一日も休んだことないよ。メールチェックはもちろん、待機名簿を年末にあてがわれたり、旅行中に空港から取引先の社長と電話したり、結果的に稼働しない土日の方が多いけど、完全に仕事を離れるなんて怖くてできないよ。
ただ、それって弁護士だけなのかな、とも思いました。
企業でも、ある従業員しか事情を知らないトラブルが発生したときに、その従業員が有給を取っていたとします。会社は必死になって連絡を取ろうとするはずです。それがパワハラだと騒がれる時代ではありますが、会社の被害が拡大しないことはその従業員にとってもプラスになるので、連絡を取る合理的な理由があります。もっとも、情報を共有できるシステムを構築しておくべきだとは思います。
私のサラリーマン時代の勤務先は先進的なIT企業だったので、社内システムでほとんどの情報が共有されていました。そのうえで、パワハラ防止のために、メールは特定の端末からしか見られないようになっていました。
しかし、私は、システムで共有してはならない情報(守秘義務まみれの交渉案件)を多数抱えるようになったため、私だけ特別に私用スマホからもメールが見られるように設定されました。営業ではないので社用携帯は渡されていないのに、私の携帯番号は必要な人員には周知されていました。出世したということです。
社会的に見た時に、弁護士という時点で、既に出世した状態なのだと思います。社会から必要とされることを光栄に思えば、休みがないことも光栄だと思えるはずです。働きたくないでござる。
私のある日のスケジュールを見てみましょう。
7時30分~8時:起床、8時からの委員会に備えて弁護士会からの意見照会を確認
回答書案は私が作成するので必死
8時~9時30分:若手の会委員会
若手界の長老であり委員長なので欠席できるはずもなく
9時30分から10時20分:遅い朝食と身支度
10時20分から11時:移動
11時~15時:取引先往訪
11時30分~12時と14時~15時に私の往訪に合わせたMTGが設定されているのでサボれるはずもなく
15時~17時:弁護士会委員会に往訪中取引先からWEB参加
PT座長なので欠席できるはずもなく
17時~18時:取引先で内職
特に相談がなかったので別の取引先からの緊急相談に応答
18時~18時30分:移動
18時30分~20時:会派の執行部会
事務次長でありながら本日10時から13時のMTGを欠席しているのでサボれるはずもなく
20時~:懇親会
お疲れ様でしたが心は休んでも体は休めません
就労時間:5時間<会務拘束時間:5時間30分
ごらんの有り様だよ!お昼ご飯を食べる時間なんてないよ!
いつも話している「週30時間しか働かないで週20時間近く会務に拘束されている」ってのは本当のことなんだよ!ここに懇親会と休日の旅行が加わるから休む時間なんてないんだよ!
ワーク・ライフ・バランスと言いますが、ワーク・会務・遊び・休みバランスで考えると、
ワーク:極端に少ない(週30時間程度)
会務:ワークの不足を補うように多い(週10~20時間)
遊び:かなり多い(酒と旅行とゴルフ練習)(週20~30時間)
休み:ほとんどない
ということになっています。月80~160時間残業相当の忙しさです。心も体もボロボロです。バランスが悪い!
会務を減らさなきゃ(使命感)
遊びよりもワークが多くて安心していることは秘密です。
2026年1月20日追記
週末に幼馴染と久しぶりに飲んでいて、どんな仕事をしている、という話をしました。その中では、会務についても多くを語ることになりました。
弁護士会務も、巡り巡って、弁護士業務の役に立つこともあると思います。取引先から、また弁護士会ですか?と呆れられつつも、どういう役職だから行かんわけにはいかんのよ、と答えると、どこか大物弁護士的な扱いを受けているような気がしないでもない。
酒や研修旅行で同業者と懇親を深めることは間違いなく仕事につながります。色々な人から一人事務所で不安はないのかと聞かれますが、日頃から同業者と懇親を深めているおかげで、受けられない仕事をお願いできる友達もいるし、処理方針に困った際にも相談相手に事欠きません。
つまり、ワークは仕事、会務も仕事に関係があるような気がしないでもない、遊びにも確たる仕事要素がある、ということなので、私は月100時間残業分くらい働いているんだよ!なっ、なんだってェー!!
そう考えるとタイムフィーが酷すぎて死にたい。酒飲みながら自分のタイムフィーの低さを嘆くアラフィフのおっさんが結婚できるはずがないと思いました。
会務を減らしても売上は減らない、むしろ会務を減らせば売上を伸ばす余力が生じる、という現実から目を背けてはいけないとも思いました。
2026年3月10日
2026年と2027年も会派の執行部をすることになりました。
私は2010年弁護士登録ですが、2015年に東弁登録、2017年から二一会に入会した新参者です。にもかかわらず、2019年の百周年記念事業の会計となり、2018年から2019年はそっちで大忙しでした。なぜ入会ほやほやの私に高額な事業資金の管理を任せるんですかね。二一会のガバナンスはどうなっているのか。
二一会に入会すると、自動的に法曹親和会にも親和全期会にも名前を連ねます。ただ、私は、若手の会というと精々5年目くらいまでのイメージなので、親和全期会には全く参加していません。
3つの会には、それぞれ、1年任期の執行部があります。執行部は、会の企画の運営を行います。私の執行部就任歴は、2020年法曹親和会、2021年お休み、2022年親和全期会、2023年二一会、2024年二一会事務局長、2025年法曹親和会事務次長とほぼ休み無しです。
2022年に親和全期の執行部をしているのは、あまりにも親和全期会に顔を出さないので、当時の代表が、何事も一度は経験しておけと入れてくれました。おかげで、私は親和全期朝会のヌシとなり、卒業年となる今年は会務政策委員長として、意見照会の回答書を何通も書くことになりました。
今年で親和全期会は卒業しますし、二一会では事務局長の、法曹親和会では事務次長のお勤めを終えたので、2026年からしばらくお休みだぜ、と思っていました。
ところが、ホームグラウンドである二一会の研究部代表幹事が降ってきました。
(NEW)2026年二一会研究部代表幹事(後半)、(NEW)2027年二一会研究部代表幹事(前半)
毎年8月の合宿で研究発表をするので、2026年8月までは前任者が、その後、2027年8月までが私の任期です。8月からスタートする必要もないので、1月から1月とか任期がずれるかも知れませんが、いずれにせよ、2026年の執行部にも参加します。司法修習時期が変更になったので、100年以上の歴史を誇る二一会研究部も手探りで運営しています。
私が二一会への帰属意識が強いのは、2017年に参加してから、2018年、2019年と、3年連続で研究部に参加して、合宿でも発表していたからです。そのため、研究部代表幹事をやりたかったのですが、なぜか事務局長をすることになりました。どちらも忙しいので、多くの場合、どちらか片方しかやりません。例外が何人かいますが、同期の層が薄いなどの事情がある先輩ばかりで、私の同期は充実していますから、私は研究部代表幹事にはならないものだと諦めていました。
やりたい役職はやらせてもらえない、やりたくない役職はやらされる、とグレていたら、やりたくない役職をしたご褒美にやりたい役職もやらせてあげよう、ということになり、そういうことじゃないんだよな、と思いつつも、数年前に抱いていた、研究部代表幹事をやりたかった気持ちを思い起こしているところです。二一会の本丸は研究部ですので、1年間のブートキャンプで、若手を会派の精鋭兵に鍛え上げます!
会務を減らす道のりは遠いです。
2026年3月14日
今日は弁護士会の人事委員会でした。私は俗物なので、自治体からの仕事に推薦されていく弁護士を見ながら、こんな薄給でご苦労さまです、と思っていました。しかし、日々色々な名簿を眺めていると、委員会などの会務を自己ブランディングに利用している弁護士が多いことに気づきました。そうか。私がこの仕事は職務経歴書的なもので目立つぞ、と考えて、採算度外視で楽しそうな仕事を受けていることと同じ感覚なのだなと思いました。
私は流れ流され生きているだけなので、そんなことは何も考えずに、降ってくる役職を捌くだけで手一杯です。人事委員会は誰がどう見ても重要な役職なので、周囲は役員経験者ばかりです。なぜ場違いな私が紛れ込んでいるのかと言うと、キラキラの役員候補だった先輩から、いよいよ役員になるので兼務できなくなったから後よろしく、とパスを受けたからです。しゃあない、先輩の顔に泥塗るわけにはいかんと頑張っていますが、場違い感がすごくて正直しんどいです。
みんな色々考えて委員会とか選んでるんだなと反省しながら自分が置かれている状況を整理してみたら、会務と仕事がリンクしてきていることに気づきました。
私の元々の関心分野は法曹養成で、その中でも、不合格者に対するセーフティネットを用意したいと考えてきました。せっかく頑張って勉強してきたのに、ただ司法試験に合格できなかっただけで法律を手放すのはあまりにももったいない。
そんな思いから法曹養成センターで副委員長をしていましたが、会派から降ってきた仕事で手が回らなくなり、辞めてしまいました。不合格者に対して弁護士会ができることに限界を感じたことも理由です。
そんな経緯から、企業の力を借りて法務部員育成事業をライフワークにしています。かつては法律事務所の事務職員をしながら司法試験合格を目指した者が多かったように、法務部員の仕事の一部を受注しながら合格を目指す受験生が登場することが私の理想です。その経験は合格後も役立ちますし、試験が残念な結果となってしまっても就職の足がかりになります。それを実現するために、弁護士資格がなくても受注できる業務の範囲、弁護士法第72条の射程を探っています。
弁護士法第72条周りでは、近年は、AI契約書添削サービスがホットトピックです。私が仕事でAI契約書添削を使う分にはなんでもありです。出力への責任主体はAIサービス提供事業者ではなく私だからです。しかし、企業に対して、AI契約書添削が、断定的な法的判断を提供したら、AIサービス提供事業者による弁護士の独占業務の提供、つまり非弁行為になります。だから出力して良い範囲についての議論がなされています。
2026年度から、法曹親和会で、AIについて勉強して弁護士に対して情報提供をするプロジェクトチームのメンバーになります。2025年度の幹事長は日弁連でAI戦略ワーキンググループを立ち上げた方で、会派でもAIを掘り下げることになり、同年事務次長の私が担当になったことがきっかけです。
この他、2025年度は親和全期会の会務政策委員長として、日弁連がAIに関するガイドラインを制定する際の意見照会にも回答していました。
ありがたいことに、現在のプロジェクトチームの関心分野もAIと弁護士法第72条の関係です。皆がAIを脅威と感じる文脈で語っている中で、私一人、業務に役立てるために議論に参加できるので、とても恵まれていると思います。
AIは私の直近のトレンドですが、トレンドを離れて、常に仕事の中で大きなウェイトを占め続けているのが労働です。思えば、2017年から2019年まで3年間、二一会研究部で取り上げ続けたのも労働でした。私が本を書く人になったきっかけの3年間です。
二一会研究部代表幹事として、個人的な原点に立ち戻り、労働分野を扱うことにしました。2027年8月の合宿での発表と、2028年2月の日弁連会長選での書籍販売を目標に、研鑽を重ねます。私の役割は若手のメンターですが、むしろ私のスキルアップのために若手を利用するつもりでいます。若手にとっても、労働をけっこうやっている私の業務に役立つレベルのアウトプットを強いられることがスキルアップの近道だと信じているからです。パワーレベリングの精神です。
今は見る影もありませんが、新型コロナ禍前は、当事務所の主力分野は不動産でした。その際に得た知見を活かして、不動産を中心とした相続対策を事業に昇華できれば、新たな収入源になります。そんな野心を抱きながら、弁護士会では、遺言相続法律支援プロジェクトチームの座長をしています。本も書きましたし、毎年不動産鑑定士協会と相談会を共催しており、先日は相続専門の税理士法人の代表を招いて勉強会を行いました。こちらも着々と、です。
AI、労働、不動産・相続という3分野で、仕事と会務がリンクしてきました。会務なんて仲間と楽しく酒飲むための口実作りで頑張るだけ、と思ってきましたが、意外と仕事に利用できるんじゃね?と気づいてしまいました。少なくとも、会務を通じて獲得した、その分野に関心がある弁護士の集合知を、仕事にフィードバックできる環境が整っていました。よし。諦めた。会務も頑張ろう。
2026年9月28日
同業者や取引先と話していると、就職市場、転職市場は、業種を問わず、空前の売り手市場だと感じます。笑ってしまうのが、人材紹介業者まで採用難に苦しんでいることです。笑っている場合じゃないくらい労働力のひっ迫は深刻で、もはや笑うしかありません。深刻過ぎて笑えた新型コロナ禍を思い出します。
目立った好景気ではないのに労働力のひっ迫によって売り手市場が形成されている。その結果、どの業界でも、中途を含む新人の給与だけが上がって既存人員の給与は動かないという問題が発生しています。この構造が、FAしないと年俸が上がらないプロ野球選手のようで、転職市場の活性化につながっています。考えれば考えるほど根深い問題です。
年功序列は完全に崩壊したと感じます。弁護士業界も、売上が悪ければすぐに年収が下がっていくらしいです。嘘か真か700万スタートの3年目が500万とかあるらしいのです。弁護士は一人親方なのだから当然だと言われればそうなのでしょうが、給与を下げられた若い子は大丈夫なのかなと不安です。
上の給与は上がるどころか下がりかねず、下だけ給与が上がって、結果的に世代間の貧富の差は縮まっています。うーん。職業選択における自由主義の加速が社会主義の進展をもたらすとは思わなかったよ。
そんな中で、いつメン(先輩弁護士たち)と飲んでいて、AIが弁護士の格差を広げるのではないか、という話になりました。大規模事務所ほどAIを使いこなすから、という文脈でした。
私の意見は全く逆です。私はこっそりと大規模事務所の仕事を奪っています。私はサラリーマン時代に、アメリカ企業の買収検討は気合で内製化していましたが、インドネシアや中国の仕事には対応できずに大規模事務所に外注していました。しかし今は、EU、アメリカだけでなく、中国、ベトナム、インドネシア、フィリピンの仕事にも対応しています。AIのお陰で、企業が海外進出する際の初期調査に対応できるようになったからです。
先輩方は、私の仕事に興味津々で、いくもらえるのか聞いてきましたが、私は、しょっぼい訴訟事件くらいだよ、けれど、調査は最短1日2日で終わるから割りは良いよ、と正直に答えました。それでも大規模事務所に依頼すれば1桁違うから格安だね、と言われました。私もそう思います。
大規模事務所の報酬が高いのは、パートナーの下に複数のアソシエイトがいて、外国語対応できる優秀なパラリーガルがいて、チーム外にもバックオフィスや受付の人員がいて、それら全員の机を並べる広いオフィスを一等地に借りて、ランニングコストが馬鹿高いからです。ブランドバリューこそありますが、価格競争力がないのです。AIが高コスト構造にNOを突き付けているというのが私の現状認識であり、AIは格差を無くしていると感じています。
ところが、先輩たちから別の格差を指摘されました。AIを使える人間と使えない人間の格差です。その場での議論は次のようなものでした。
大規模事務所の弁護士は概してAIを使えるが、高コスト構造という弱点を抱えている
AIを使いこなすためには、その出力を検証できるだけの弁護士としての力量が必要で、若者はむしろAIを使いこなせない
一番強いのは、私のように、低コスト構造で、弁護士として一定以上の力量を備えていて、AIを使える弁護士だが、誰もがそこに都合よく収まれるわけではない
無駄なコストをかけず、若手を鍛えながら、組織的にAIを導入する、バランス型の中規模事務所が求められていくだろう
大規模事務所も、そこを狙ってダウンサイジングしていくのではないか
なかなか興味深い議論ができたと思います。私も、AIによって、弁護士業界にも、まさしくパラダイムシフトが起こっているのだと思い直しました。
労働力の逼迫もAIによるパラダイムシフトも、格差を縮めるというよりも格差を破壊しているという印象です。大学に入る頃にインターネットが登場して、社会が変わるぞ便利になるぞと夢を見ていましたが、今は社会はどうなってしまうのだろうという不安しかありません。視野が広がったのか前向きなエネルギーを失ったのかその両方か。