2026年9月10日
野盗がアホなことをすると、民主主義の危機だと騒ぎ立てる連中がいます。大変残念なことに、学者である場合が多いです。
野盗がアホなことをすると野盗が弱体化する。その結果、選挙における選択肢が奪われる。それは民主主義の危機である。
一見、尤もらしい議論です。ですが、既に通用しなくなりました。
チームみらいを見なさい。参政党を見なさい。その主張の是非はともかく、与党に対して不満を持ち、既存野盗を頼りないと考えるならば、新しい力が芽生える時代になりました。選挙に用いる提灯の数を規制しなければならない時代に生まれた議論が通用しない時代になりました。文明の勝利です。
にもかかわらず、過去の議論を引きずって民主主義の危機を煽る。
無学な人間がそれをするならば、時代は変わったのだよと諭すだけですが、なんたら大学教授という肩書を持つ人間が、破綻した論理に基づいて民主主義の危機を煽る。
その目的は何かを考えて欲しい。学者の行動からその目的を推測して欲しい。
与党に不満があるならばより良い野党を支持するべきなのに、既存野盗の弱体化を防ごうとするばかり。既存野盗を応援したいならば、その素晴らしさを説けば良い。それができない状況でも、過去の議論から民主主義の危機という脅し文句を引っ張り出して、なお野盗の応援を続ける。それが学者が行っていることです。野盗の応援を通じて何を求めているのかを考えてください。野盗は日本にとって害悪です。害悪を延命させることで誰が利益を得るのか。日本ではありません。
そして、学者は、必ずスパイ防止法に反対します。私はスパイ防止法の必要性は認めつつも、内容には慎重であるべき、拙速な実現には反対という立場です。だからスパイ防止法に反対すること自体には何も思いません。しかし、必要性は認めているので、自身が学者であるならば、どのような内容であるべきという提案をすることが責務と考えます。その責務を果たさずに単に反対することは、必要性を否定することと同義です。
さらに学者は、新しい力が芽生えるための苗床として機能しているインターネットに対しても、一律に否定的な見解を示します。これだっておかしい。インターネットとは媒体に過ぎず、真実とデマが混在するので、情報リテラシーをもって見分ければよいだけです。学術論文だって、盲信の対象ではありません。孫引き厳禁、必ず原典にあたり、その内容によって、論拠として引用することもあれば批判の対象とすることもあります。真に学問の徒であれば、あらゆる情報に目を向けつつも懐疑的に検証するはずであり、デマが混じっているからとインターネットを特別視することは絶対にしないのです。
民主主義の危機を煽る人間が、スパイ防止法に反対し、インターネットを一律に否定したとき、私は、その背後に、日本ではないどこかを見てしまいます。学問の裏付けを感じさせない発言ばかりする学者が目立ちます。まともな学者は、それ故に巨大ゴミに取り上げられることがないので目立たないだけであり、多数派を占めると信じたいのですが、まともな発信を見る機会があまりにも少ないので、毛沢東の気持ちがわかるような気がしてしまいました。
2026年8月15日
81回目の敗戦記念日です。
戦争が終わりました、良かったね、では不足です。どうして戦争をしてしまったのか、どうすれば回避できるのか、それを振り返らなければ成長はありません。だから私は断固として敗戦記念日と呼び続けます。
どうして戦争をしてしまったのか。
直接的な原因はハル・ノートです。ただ、これはノートという名が示す通りで、最後通牒ではなかったと評価する声もあるようです。
時系列を追うと面白いのですが、1941年11月26日(日本時間27日)にハル・ノートが手交される前日に、米側で暫定協定案の取りまとめがなされており、その内容ならば戦争にはならなかったと言われています。
中国、現在の台湾国民党は、当然のことながら、暫定協定案に反対の立場でした。ハル・ノートの流れを作ったハリー・ホワイトは、ソ連のスパイであるという疑いをかけられた直後に急死しています。日米双方の翻訳能力の拙さという不幸な歴史的背景もありました。
日本もアメリカとの戦いは避けようとしていたが、交渉の末に、やむなく、わずかでも勝ち目があると思える時期に開戦せざるを得ない状況に追いやられた、当初より敗戦濃厚と承知の上で、外交において敗北した、というのが私の歴史認識です。
戦争の語り部が少なくなっていることが危惧される。マスゴミの常套句です。
私が子供の頃、40年ほど前は、当時70歳代80歳代の語り部たちから多くを聞かされました。
中には子供時代に日露戦争を経験されている方すらいらっしゃいました。
私が触れた語り部たちは、このように話されていました。
戦争をして勝利すれば日本が豊かになる。
徴兵検査が開始されたのは1927年、日中戦争の激化により戦時体制となったのが1939年、私が触れた語り部たちはこの間にも徴兵検査を経験されていました。甲種合格すれば女子にもてる。だから体を鍛えていたそうです。
しかし、太平洋戦争が激化すれば、大本営発表などあてにならず、旗色が悪いとわかっていたそうです。その時代に20歳を迎えた語り部たちは、不合格になりたくて本当に醤油を飲んでいたそうです。
語り部たちは「人間なんて現金だ。勝てると思えば調子に乗るし、負けると思えば逃げ出す。」そう伝えていました。私はこの当事者の正直な振り返りにこそ価値があると考えています。
ところが、マスコミが後押しする現存する語り部たちは「誰もが戦争を嫌がっていたのに、日本政府が国民感情を無視して戦争に突き進んだ。」いつもそう語ります。当人にとっては嘘ではないのでしょう。なにせ、現存する語り部は、子ども視点からしか戦争を経験していません。そして物心ついた際には既に旗色が悪くなっており、誰もが戦争を嫌がっていた時代に突入していたからです。
「戦争の惨禍を再び繰り返してはならない。」そのためには、日本が戦争を始めるという意思決定をした際に、有権者として十分な判断能力を備えていた方々の声こそが重要です。その意味での語り部は既に失われました。
だから、語り部の声を聞いて育った世代である私が、その声を残さなければならないと、使命感を抱いています。
東京大空襲を指揮したカーチス・ルメイは「我々が戦争で負けたら、戦争犯罪人として裁かれるな」と語っていたそうです。原爆を投下したエノラ・ゲイ号の操縦士も「もし米国が負けていたら、自分は戦犯として裁かれていただろう」と語ったそうです。
日本をアメリカとの戦争へと追いやった中国とロシアが、今も日本を狙っています。
日本が正義であるとはいいません。しかし、マスゴミのように、さも日本が戦争の惨禍を求めているかのように語る手合いを、私は日本人として許すことができません。
中国とロシアが日本を狙っている中でどうやって戦争を回避するか。皆がそれを真剣に考えています。
その議論の中で、日本が侵略を受ければ効果的な反撃を行い、侵略者に無視できない損害を与えることができるという状況を整えることは、有力な選択肢になると考えています。
平和を守るために力を捨てろ、無抵抗であれ、と叫ぶ勢力もいます。これは、マハトマ・ガンジーが唱えた非暴力不服従とは全く異なる考え方であり、私は、無抵抗を主張する連中は中国やロシアのスパイである疑いが強いと考えて、警戒しています。
2026年8月24日
私は好きではない高市総理が、なぜか国旗損壊罪を成立させようとしています。
https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_gian.nsf/html/gian/honbun/houan/g22105018.htm
(罰則等)
第二条 人に著しく不快又は嫌悪の情を催させるような方法により、公然と国旗を損壊し、除去し、又は汚損した者は、二年以下の拘禁刑又は二十万円以下の罰金に処する。
2 前項の方法に該当するかどうかの判断は、行為の外形、周囲の状況その他の客観的な事情を総合的に勘案して行うものとする。
日本国旗を大切に思う人間に不快な思いをさせることを目的とした表現の自由が法的保護に値するか。
価値議論のテーマはこれに尽きます。
それを端的に表現した条文ではあるのですが、
人に著しく不快又は嫌悪の情を催させるような方法?
該当するかどうかの判断は、行為の外形、周囲の状況その他の客観的な事情を総合的に勘案して行う?
歴史映画で日本が戦争に負けたことを示すためのシーンとして、日本国旗を燃やしたとします。それを不快に思う人がいるとは思いますが、映画監督には人を不快にさせようという意図はなかったとします。どうなるん?
刑罰法規として必要な明確性を欠いているように見えるので、私は反対です。
しかし、国旗損壊罪は「国旗を大切にするように迫る」であったり、「刑罰により国民感情を強制」したりすることはないと考えています。
他人が嫌がることは辞めろ⇒大切にするよう迫る
これは論理の飛躍ではないでしょうか。
侮辱罪は他人への敬意を強制するものではないでしょう。
裁判では、無理筋の主張でもとりあえず並べ立てることが常套手段です。しかし、裁判所の外に出れば、無理筋の主張が混入すると全体の説得力が損なわれると、私は考えています。
2026年8月24日
島国日本にはオスプレイがよく似合います。飛行機よりも場所を選ばず、ヘリよりも多くを運べるだけでなく、ヘリよりも速く遠くに移動できます。
熊本地震への対応ではその利点が活かされました。
日本にオスプレイを配備する目的は、ズバリ島嶼防衛です。オスプレイの利点を最も活かせる場面です。
オスプレイには安全性に懸念がありますが、あらゆる判断にはリスクが伴い、そのリスクは許容できるものであるかを、メリットの大きさと照らして判断します。
私はメリットが大きいので許容できると考えています。
リスクが大きいと主張される方の中には、オスプレイが日本に配備されると不都合な勢力が多数いると、私は疑っています。
2025年10月10日
憲法
第二十四条 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
ここから、憲法が同性婚を想定していないことは明らかです。
では、同性婚が禁止されているかと言われると、そんなことはもちろんない。そもそも想定していないことを禁止することもありえないからです。
とはいえ、同性婚とはなんなの、という点は議論が必要に思えます。
パートナー制度を新設し、配偶者と同一の権利を付与することはなんら問題ないとは思いますが、婚姻という枠内にすることには疑問があります。憲法が同姓の婚姻を禁じてはいないという点はそのとおりなので、同姓の婚姻を認める立法が違憲ということはないとは思うのですが、憲法上保障されている婚姻と保障されていない婚姻が同一制度内に存在することが何らかの問題を生み出さないか、という点がとても気になるのです。
私の疑問の前提として、憲法24条が同性婚を保障しているか、という論点があります。
どうやら裁判官は保障していると考えているらしいのですが、それはいくらなんでも文言解釈の限界を超えていると私には思えます。
裁判官は公務員なので、世論におもねり他の裁判所の動向と歩調を合わせ、という行動をしがちですが、憲法24条が同性婚を想定していない以上、想定していないことを禁止することがないことと同様に保障しているとも考えにくいと私は思います。
なんら裁判例が出ていない状態で、司法試験で同性婚は保障されているかと出題され、保障されていると書いたら、文言解釈がわかっていないとして不合格になるのではないでしょうか?
勘違いしていただきたくないのは、私は、同性婚は明らかに当人の幸福追求権に資するし、他者を害することもないので、認めるべきだと考えていることです。
ただ、認めるために、憲法24条を、「婚姻は当事者の合意のみに基づいて成立し、両当事者が同等の権利を有することを基本として…」と書き換えるべきであると考えているのです。
憲法が想定していない事象が現れたならば、それは憲法の変えどきです。
だから変えろと。憲法改正権は最も重要な国民の権利だぞと。
憲法改正しようとすると新憲法制定とか言い出しちゃう人たちが多数いることが懸念されることはわかります。
外圧によって大日本帝国憲法との連続性が絶たれた形で改正された日本国憲法は無効であると考えたい気持ちはわかりますが、日本国民の大多数が日本国憲法の内容を是としているならば良いではないかというのが私の考えです。
日本国憲法を是としたうえで、時代の変化に応じて必要箇所を変えていくことが求められているのではないか。
禁じられていないことと保障されていることは全く別の問題であり、同性婚が保障されていない日本国憲法の不備を正すべき、というのが私の考え方です。
私は保守に分類されがちですが、リベラルの極みだと自認しています。だから憲法改正をしたがるのです。新憲法制定とか言い出しちゃう連中は敵、国民の憲法改正権を行使させない連中も敵、敵ばかりこそリベラルっぽくてとても良いではありませんか。
2025年10月23日
あるニュースサイトで、日本では、リベラルという言葉に良いイメージが、保守には悪いイメージがあることを前提に、アナーキストあるいは敵性国家のスパイが、リベラルを自称した上で、反日ではない=保守というレッテル貼りをしている、という議論がなされており、大いに賛同しました。私は愛国というほどでもありませんが反日ではないリベラルであるため、リベラルを自認しつつも保守扱いを受ける、ということなのだと思います。
天皇制についても、私は、男系一系というレアリティに価値の源泉があるのだから女系を許容するならば天皇制を廃止した方が良いと考えている過激派です。そのうえで、男系一系は女性天皇を許容するものの、女性天皇の御子が天皇になれないことはかわいそうだから女性天皇は望ましくない、という立場です。仮に女系一系であったならば、男性天皇は望ましくないと考えます。男女という観点からは中立的です。
私は人間の知性に期待しているので、議論が成立しない、自分の意見を固定している連中を忌み嫌っています。そのため、どのような場面でも男女差別を金科玉条として振りかざせると勘違いしている連中も、日本は絶対悪だから永遠に反省しろと私の先祖を愚弄する連中も大嫌いです。私自身は君子は豹変すを実践したいと考えていますから、このサイトは、執筆時点での私の立ち位置を示すものに過ぎません。そのため、変節した後に、ああ、その時点ではそう考えていたんだね、という反応をすることもあると思います。私が考えるリベラルは自分の考えを自由に変えられる柔軟性を重んじます。
2025年10月7日
高市早苗自民党新総裁の誕生によって選択的夫婦別姓を推し進めている方は大層落胆しているそうです。
私には、選択的夫婦別姓推進論者がどうにも理解できません。
元々、夫婦同姓では妻が夫の姓を名乗ることが多いので働く女性の妨げになっている、ということが問題とされていたはずです。
まず、夫婦同姓と男女差別を切り離して考える必要があります。
今週一緒に飲んでいた仲の良い男性弁護士は、結婚によって配偶者の姓となり、現在は旧姓で活動されています。
高市新総裁は、現在、配偶者に高市姓を名乗ってもらっています。配偶者が御高齢なので、働く女性優先のご決断なのでしょう。
私の母は、旧姓が大嫌い(音の響きが嫌いで、それによってからかわれてきたからだそうです)で、結婚すれば旧姓を捨てられると考えていたそうです。
2025年10月23日追記
私が学生時代ですから20世紀末に、韓国の方から、夫婦別姓は男女差別だと熱く語られたことがあります。
当時の韓国は父姓主義といって、夫婦別姓だが子供は父親の姓という制度でした。韓国は男性優位の社会で、女性は結婚しても本当の意味で家には入れず、しかし父親の血を引いた子供ならば女性でも家に入れる、という男女差別が夫婦別姓に現れていると教わりました。なるほどと納得しました。
その方は、レディーファーストだって、暗殺されそうになった際の盾にするために女性を先に歩かせるのだと話されていました。もっとも、その韓国の方は、冷静に、時代が変われば制度の意味も変わると評価されていました。変質したレディーファーストを放棄する必要はないというお考えでした。
少なくとも私は、現代日本の夫婦同姓が男女差別だとは全く感じません。独身の私は、結婚できるならばなんの抵抗もなく柿沼の姓を捨てるからです。私は長男ですが、父は四男ですから、柿沼を継ぐという意識はありません。そんなことより孫の顔を見せろと昔は言われていたのに、今は触れてはいけない話題になってしまいました。
選択的夫婦別姓の一番のデメリットは、親子別姓、兄弟別姓の登場です。
親子別姓でも困っていない子がいるという反論がなされるところですが、これは全く反論になっていません。問題は、両親と同じ姓を名乗りたい子供まで親子別姓を強いられることです。
私は経済学出身ですから、誰かのために誰かを犠牲する現状変更を許しません。この考え方をパレート効率性といいます。
選択的夫婦別姓を求める目的が通称使用の困難にあるならば、その目的を達成するためにもっとも緩やかな手段を採るべきということは、経済学であればパレート効率性から、法学であれば憲法におけるより制限的でない他に採りうる手段の基準から、考え方の基本です。それがわからない弁護士が多いことに、強い危機感を覚えています。
現状の夫婦同姓が必ずどちらかに通称使用の負担を強いており、通称使用を容易にすることは困難であるというならば、福沢諭吉の時代から存在している夫婦創姓論の出番です。
夫婦創姓論の一番のメリットは、望めば夫婦どちらかの旧姓にもできることです。現状維持に対応できます。
また、複合姓を創出することも可能です。ミドルネームも使えるようにすれば、佐藤・山田・花子が許容され、旧姓山田花子さんは通称山田花子を使いやすくなるでしょう。
私には複合姓に対応した夫婦創姓論が有力な選択肢とならないことが不思議でなりません。
おそらく、選択的夫婦別姓推進論者の本音は、配偶者と同じ姓になりたくない、ということなのでしょう。
その価値観を否定しませんし、戦国時代はその通りだったのですが、ならばなぜ結婚するのか、結婚とは何なのか、という深遠な議論をすべき問題です。
結婚はしない、が、指定した者を相続において優遇するパートナー制度を創設すべき、という議論もなしうるところです。同性婚への一つの解決策にもなります。
とはいえ、私は柿沼さんちの彰くんで育ち、私が悪さをすれば親に迷惑がかかりました。個人が家を背負うことで自律するという価値観は、古臭くはあっても守るべき価値があると私は考えています。
貴方が配偶者と同じ姓になりたくないと考えることは勝手だが、それを子供が両親と同じ姓でいたいという感情を抱く可能性になぜ優先できるの?というのが私の一番の疑問です。選択的夫婦別姓において子供に選択権はありません。それが問題です。
まとめると、私は選択的夫婦別姓の反対論者として次のように考えています。
・選択的夫婦別姓の目的が通称の不便の改善にあるならばそれを解消すれば良い。改善困難ならば夫婦創姓として複合姓導入を検討すべき
・選択的夫婦別姓の目的が配偶者と異なる姓を名乗りたい感情にあるならば、それが他人の感情を制限しない方法で実現しなければならない
2026年8月17日
サイト構成を整理している最中に、過去の自分が書いた文章を読み直して、誤解を招くと思いましたので、補充します。
私は、未来永劫夫婦同姓を維持すべき、とは考えていません。
現在の国民感情は、選択的夫婦別姓には反対しないが、自分たちは夫婦同姓ひいては家族同姓を選ぶ、というものが多数であると認識しています。
そのような状況下では、親子別姓兄弟別姓を強いられる子どもを保護すべきではないか、というのが私の意見。多数意見は子どもへの配慮、想像力に欠けているという評価です。
いずれ国民感情が変化し、柿沼さんちの彰くんが悪さをすれば一族に迷惑がかかる状況を整えることで各人の自律を促すという価値観が失われ、個人主義が徹底されたならば、満を持して選択的夫婦別姓を導入すべきだと考えています。
私の発想は、常に、何かを実現するために他の何かを犠牲にしてはならない、というものです。一般論として子どもが傷づかないと言い切れる環境になれば、生まれた姓を貫きたい、夫婦で同じ姓を名乗りたくない、という声に応えて、選択的夫婦別姓を導入すべきです。
私は保守だと思われがちなのですが、実は伝統的価値観には全く興味が無く、ただ、私が合理的だと思える判断手法を貫徹しているだけです。リベラルというよりも、経済学信者あるいは合理性論者です。
2026年8月24日
複数の障害者雇用の問題を同日に扱いました。
1件目は、A社グループにおいて法定雇用人数を満たすための事業部門の赤字を減らすためのビジネスモデルのリーガルチェックです。A社グループで全力バックアップしても黒字化は不可能で、赤字を減らすための施策でしかないという現実を突きつけられています。
もう1件は、B社が社内勤務での法定雇用人数の確保を諦めたので、外部業者を利用して農場経営をする(人を送り込む)が、赤字をどこまで許容するか、という議論でした。農場視察した方の報告で印象的だったのは、動線管理が徹底されていたこと、障害者雇用の人数が増えてしまうと障害者同士の接触が発生してトラブルが起こるので事業のスケール化は難しいこと、でした。
後者こそが問題の本質です。制度設計者は、ハンディキャップがある方を社会に溶け込ませるイメージのようです。しかし、現場の感覚では、他人と接触するとハレーションが生じるから、動線管理や物理的な間隔の確保によって他人との接触機会を減らすことで力を発揮してもらえると考えています。インスタで流れてきた動画で、上司が障害者を別室に隔離した、その上司はパワハラを問われた、しかし障害者は自分だけの空間をもらえたので力を発揮できたと上司に感謝している、という内容のものがありました。AI画像にストーリーを付したものだったので、眉につばして見ていましたが、今日の議論を踏まえると実話である可能性が高いです。
ここから先は私固有の笑い話ですが、B社の議論で出てきた有力な外部業者が、A社の当該事業部門でした。A社グループ内の障害者雇用を満たしながら収益化を狙っている部門が、グループ外部のB社からの人材供給を受けてコストを下げることで収益化を狙おうとした結果です。
世間は狭いなと思いつつも、私は貝ように口を閉ざしていました。だって、A社のビジネスモデルもB社の懐事情も知っているんだもの。
2026年9月1日
24時間テレビのチャリティランナーの女性俳優の発言が議論を呼んでいますね。議論のきっかけを与えた、というのは、24時間テレビとしてとても意義のあることだと思います。
インクルーシブ教育の是非については色々な議論が有るところですが、私は現時点では否定的です。当人の負担、周囲の負担を許容できるまでの医療・科学技術を未だ社会は備えていないと考えているからです。もちろん、個別具体的な事情に応じて結論は異なるべきですから、否定的といっても、事案ごとに肯定的になります。全体を同時に推し進めることに対して否定的、という態度です。
私は思考が経済学に支配されているので、直ぐに長期的という発想が出てきてしまいます。医療水準の発達、特に装具周りの科学技術の発達は、いずれ、インクルーシブ教育の議論の意味を失わせます。これは確実に訪れる幸せな未来です。
長期にはみな死んでいる、と言われればその通りで、今をどうすべきか、については、なかなか頭が周りません。ただ、いずれ確実に訪れる未来の到来が早まるように、障害者やその周囲の方が抱いている不便や不満が社会に認知される状況を整えるべきだとは考えています。それは予算につながり、技術発展のヒントになるからです。まさに議論はその端緒であり、だから今年の24時間テレビはとても意義があったと考えています。
2026年8月24日
ICCの設置根拠は、国際刑事裁判所に関するローマ規程(ローマ規程)であり、日本はこれを締結しています。
私は、国際協調主義、平和主義の理念から、日本がローマ規程を締結することは当然であるし、ICCを支えることには賛成しています。
しかし、ICCの活動すべてを肯定すべきではないと考えています。
ローマ規程を締結している日本の国民に対してICCが逮捕状を出したならば、従うべきだと考えています。当たり前のことです。
しかし、ロシアもイスラエルもアメリカも、ローマ規程を締結していません。
そして、ICCは、ローマ規程締結国であるパレスチナに泣きつかれて、非締結国であるイスラエルのネタニヤフ首相に対して逮捕状を出しました。
ICCの特徴として、国ではなく個人の犯罪を扱うこと、戦争犯罪などの大上段の犯罪を扱うこと、属地主義であること、が挙げられます。
ICCは、イスラエルという国家の意思決定について、ネタニヤフ首相個人に帰責しました。
罪状は戦争犯罪と人道に対する罪です。東京裁判におけるB級戦犯、C級戦犯に相当に相当する罪状ですが、東京裁判でB・C級戦犯に問われたのは現場指揮官レベルでした。
誰がどのように捜査したのか、誰がどのように訴追したのか、誰がどのように応訴したのか。それは非締結国において保障されている手続保障を満たすのか。
私は、非締結国の個人に対して逮捕状を出したICCに対して、当該非締結国の同盟国である非締結国が裁判官個人を対象として制裁を下すことには、合理性があると考えています。
ICCを支持する日本も正しいが、アメリカにもイスラエルにも正しさはある。法は文化にも根ざしたものである必要があり、世界に多様性が有る以上、法にも多様性があり、法の支配はマジックワードではないと考えています。
2026年8月26日
法の支配についてお勉強しましょう。
法の支配とは権力に対する法の優越を定めるルールです。法治主義との違いは、法が国民だけでなく権力をも縛るかどうか、法の内容の正しさが問われるか、の2点にあると言われています。
法の支配は法があってこそです。では、法とは何か、というと深遠な議論になってきます。普遍のルールを法とした場合、対立利益として国家の主権が観念されるからです。
ICCの問題は、まさに、法の支配VS国家の主権の問題です。
様々な考え方がありますが、よく言われているのは、普遍的な罪、戦争に対する罪などについては、法の支配が国家の主権に勝る、というものです。これはICCの立場です。ICCは、ローマ規程締結国内で行われた行為について普遍的な法を適用します。これは理にかなったルールです。
しかし、この理にかなったルールが、常に公正な結果を導くとは限りません。
イスラエルによるガザ侵攻は、ハマスによるミサイル攻撃への反撃として行われました。ガザ侵攻とミサイル攻撃、どちらが悪でしょうか。
もちろん、どちらも悪だという結論は大いにあり得ますし、多数がこれに与するでしょう。しかし、先に行われたミサイル攻撃が悪であり、悪への反撃だからガザ侵攻は許されるという立場もあり得るところで、イスラエル、アメリカは、後者に与しています。普遍のルールは決して万国共通ではないのです。
問題は、ガザ侵攻の舞台となったパレスチナはローマ規定締結国なのでイスラエルの個人を罰することができるが、ハマスによるミサイル攻撃の舞台となったイスラエルは非締結国なのでミサイル攻撃についてはハマスに属する個人を罰することはできない、という点にあります。イスラエルが保護を受けたいならばローマ規定を締結すべきというのがICCの論法なのですが、それこそが権力を傘に着た横暴であると、私には思えます。
2026年8月31日
大変申し訳ございません。事実誤認でした。ミサイル攻撃についてもハマスを罰することは可能ですね。発射から着弾からの一連の流れが実行行為であるからです。また、ローマ規程は属人主義も採用しているようです。イスラエル国内でパレスチナ人が犯罪を行えばパレスチナ人を処罰できるそうです。
もちろん、ICCにも正義があり、人質の拉致については、パレスチナのハマス幹部にもきちんと逮捕状を請求しています。
繰り返しますが、私は決してICCに否定的な立場にはなく、日本はICCを支援すべきという立場です。
ただ、ICCを強力に支援していくことと、アメリカを非難することは全く別の問題であると考えています。
私は極度のハト派なので、締結国になれば守られるという態度ではなく、むしろ、締結国だからこそ個人が罪に問われる可能性があり、それは締結のデメリットとも思えるが、それを受け入れる態度こそが称賛されるべきであり、自らを律する姿勢を示すことを通じて世界中に締結を求めるべきだと考えています。非締結国の個人を罪に問うべきではないと考えています。
なんか自分の考えを言語化していくと、ものすごい理想主義者に思えてきた(´・ω・`)
2026年8月31日
私は昔は死刑存置論者でした。しかし、報道を通じて「死刑になりたくて人を殺した」という犯行動機を聞くにつれて、死刑に抑止力はない、それどころか犯罪を誘発するおそれすらあると考えて、反対論者に転じました。
もちろん、冤罪であった場合に取り返しがつかないということも反対の理由になります。筋論からすれば、裁判で戦う機会を与えられた弁護士が結論に不満を抱くなどけしからん、という立論もありうるところです。しかし、強大な捜査権に対して単身で立ち向かわなければならない弁護士に、結果責任まで問うて良いはずがありません。冤罪を防ぐためには、再審制度の再構成も含めて、充実した、万人が納得できる刑事訴訟の実現が前提であり、それが果たせるまでは死刑執行はペンディング、というのは、非常に説得力の有る立場であると考えています。
ただ、死刑は残酷だという価値判断は、かなり弱いと考えています。残虐ではない執行方法を追求して今に至ると考えているからです。この議論の前提として、私は、命の価値は平等、という意見には反対です。生まれてきた瞬間は平等、という意見には賛成しますが、その後も平等が固定されるというならば、法を守っている人、努力している人に対して、あまりにも失礼です。裁判所の判断が真実であるという前提が確保されたならば、死刑に相当する罪を犯した人の命の価値は低く、これを死刑とすることが残虐だとは私は全く思いません。
さらに踏み込んだ議論をするならば、私は死刑が犯罪を誘発しうるのは死刑が残虐ではないからであり、犯罪抑止の観点から、現行の死刑制度よりも残虐な刑があることが望ましく、そのための憲法改正も、将来的に冤罪の可能性を合理的に否定できるようになった次のプロセスで必要になるとすら考えています。
2026年9月1日
などとキャッチーなタイトルをつけてみましたが、言いたいことは、消費税にメリハリをつけよう、というものです。
聞くところによると世間は物価高だそうで、たまに私も物価高を感じるときがあります。昼食を食べるとき、お菓子を買おうとしたとき、物価高を感じます。
しかし、それ以上に、いろいろ安くなっていると感じます。私は様々なサブスク(主にリーガルテック)を利用していますが、過去には導入が現実的ではなかった高度なサービスが、月額数千円、数万円で利用できるようになりました。switch2も、携帯ゲーム機で、この大容量、この読み込み速度、この描画速度か、と感動するばかりです。科学技術の発展により、生活の質は間違いなく向上しています。
私の支出の中で残念ながら大きなウエイトを手放してくれない夜の飲食は、安く美味しくなっています。私が若かったころは、食事メインのお店でお酒を飲みながら1人1万円で夕食を済ませることは困難でした。ところが今は、1人8,000円くらいで、美味しいものを食べてお酒も飲める感覚です。お酒メインならば1人3,000円で足りることもあります。学生時代にいかにも体に悪そうなビビッドカラーのカクテルやらサワーやらを飲んでいた価格帯で、今は銘柄がはっきりしているウイスキーや焼酎を飲めます。
不動産賃料も高くなっていると聞きますが、私は自宅も別荘も事務所も持ち物件ですから、影響はありません。
科学技術の発展により世の中は安く便利になり続けています。夜の飲食も、安く美味しくなっています。不動産賃料も私には関係ありません。ですから、物価高と言われても、正直、ピンときません。
などと自分でも腹が立つのが貴族(独身)のおっさんの正直な感想なのですが、裏を返すと、サブスクやゲーム機にお金を注ぎ込まない人、夜の街に繰り出さない人、持ち家がない人、ほど物価高を感じる構造になっています。これは本当に深刻な社会問題です。
その解決策として、品目ごとに消費税を柔軟に変更できる制度の構築は優れていると考えています。私は、高市政権が評判の悪い期間限定の減税にこだわる狙いは、消費税を柔軟に設定できるシステムの導入を社会に強いることにあると推測しています。もしそうならば、とても素晴らしいことです。
しかし、財源にも目を向けるべき。
酒タバコにかかる消費税を20%にしたって経済に大きな落ち込みはないと思われます。
私のようなおっさんの趣味には高い消費税をかけても泣きながら我慢します。
食料品の消費税を下げるだけならば飲食店の売上が落ちてしまうのではないか。イートインなら10%、持ち帰れば8%という現状でも違和感を覚えます。
食料品のみならず子育てにかかる費用も消費税は下げるべきです。
高市政権が、なぜ丁寧な議論、丁寧な説明によって、政策をブラッシュアップしていかないのか不思議でなりません。高市政権は、有権者は結果を求めると考えて、急いでいるのでしょう。しかし、私は、有権者は馬鹿ではないので、結果を出すために準備しているプロセスが透明化されれば支持は得られると考えています。
2026年8月27日
このページを見ていただければ分かる通り、私は、いわゆる弁護士会の立場とは、ほとんどの場面で異なる立場にいます。これだけ逆らっておけば私に降ってくる面倒事も減るかも知れない、という邪な思惑もあってこのページを作成しているわけなのですが、よく読んでいただけたならば、結論は異なっていても、弁護士会のロジック自体を否定することはほとんどないこともおわかりいただけると思います。
私は中道左派のハト派を自認しています。保守扱いを受けがちですが、わりと極端なリベラルというのが私の本質です。自主憲法制定とか大反対ですし、なんなら天皇制が廃止されることに期待してもいます。もちろん戦争反対です。同性婚には賛成しますし、選択的夫婦別姓だって嫌がる子どもがほとんどいないと言える土壌が整えば賛成です。やりたいことだけをしながらご飯を食べることに執着する私が保守であるわけがありません。
ただ、私は、誰かの利益のための誰かを犠牲にしてはならない、という発想を徹底しています。私は何よりも自由を尊び、他者の自由も尊ぶから、自分の自由のために他者の自由を犠牲にしないことが正義であると考えています。自由と正義の申し子であるとすら自認しています。
その結果、どうするべき、だけでなく、今それをしない理由もわかるから、じっくり考えていこうぜ、という結論になることが圧倒的に多いだけです。だから中道左派、だからハト派です。自認は間違っていないと考えています。
官僚っぽいことばかり言うと言われることもありますが、それは官僚に対する褒め言葉です。私は官僚を意識することはありませんが、官僚が、考え抜いている私と同じことを言うならば、それは官僚もきちんと多角的に考えているということです。
他の弁護士と考え方が違うなといつも思うのですが、私は裁判という当事者対立構造から離れているからなのだと思います。昔、元ボスに、お前は裁判官になったつもりか、と怒鳴られていましたが、私のフィールドは裁判所の外で和解をまとめることですから、相手方の言い分に寄り添うことがマストなのです。私が提案する和解案は高い確率でまとまりますから、私は私でちゃんと仕事をしていて、社会に受け入れられているんですよ、と。逆に、弁護士会は極端だと言われてしまいがちなのは、反対意見に配慮しない気風が原因であると思うのです。レッテル貼りは何も生み出さないよ。そんな問題意識も抱いています。
2026年9月14日
私は、トランプ大統領に対して、彼が日本の指導者であれば親の仇のように憎むと思いますが、国際社会(アメリカ、中国、ロシア、イラン、北朝鮮以外)にとっては、とても利用しがいがある好ましい人物だという評価をしています。
イラン攻撃に起因してカルビーが白黒ポテトチップスを販売しましたが、大方の予想通り、政治的アピールによる売名行為の失敗にしかなりませんでした。ナフサも原油も足りなくなるわけがない。だってアメリカにあるんだもの。
もちろん短期的な物価高騰は招きます。しかし、イランの永続的弱体化を天秤にかければ、長期的にはプラスです。この、長期的には、というのが私が自覚している私の弱点です。経済学出身である上に、追い込まれた経験がないし追い込まれないように常に備えているので、備えなきものは長期には皆死んでいるというけれど、私は備えているので生き残っているよ、という視点から抜け出せません。
そんなことよりも感心しているのは、イランへの攻め方です。イラン攻撃前の2026年1月に起こったイラン国内での抗議デモでは4,000人以上が亡くなりました。その怒りのパワーが現体制を打破してくれる、というのが、おそらくトランプ大統領の初期シナリオでした。
トランプ大統領は、なおも反乱を狙っているように思えます。反乱の主体は、革命防衛隊でなければ誰でもよく、面白いのが、2026年8月末ころから、お飾り大統領が公然と停戦したいと言い出したことです。選挙を通じて選ばれた大統領による最高指導者および革命防衛隊の排斥シナリオの芽も出てきたということです。もちろん、そんな可能性は低いわけですが、反乱の可能性が高まれば現体制との和解シナリオの成立可能性も高まるわけで、アメリカのお金が尽きるのが先か、イランの水・食料が尽きるのが先か、そんな持久戦になっています。イランもそれがわかっているから、中間選挙まで粘ればアメリカが予算を回さなくなると踏ん張っているわけです。
ところがアメリカ人も馬鹿じゃない。始めるべきではなかった、だから直ちに辞めるべき、という発想は必ずしも合理的ではありません。始めるべきではなかったが始めてしまったのだから、損切りと追加投資による収益化のどちらが得策かを見極める、という発想も合理的なのです。イランの窮状を考えれば目的達成は目前なのでもう少し粘るべきという結論は、そもそも攻撃すべきではなかったという振り返りと両立します。中間選挙後もアメリカが引かなければイランの心を折れると理解できるアメリカ人が一定以上いればトランプ大統領の勝利です。そして、中間選挙後もアメリカは引かないという可能性は、今もイランを苦しめています。トランプ大統領は降りるに降りられなくなっていると評価する評論家が多いですが、そんなことはない。着々と作戦は進行しているのですから、継続することが合理的なのだと私は評価しています。
トランプ大統領の戦い方は、歴史で学んだ豊臣秀吉そのものです。敵を一人殺せば敵の戦力を削げる、と私のような凡人は考えてしまいますが、敵を一人減らしてしまえば敵の兵糧の減り方が遅くなってしまう、秀吉ならばそう考えます。反乱を起こさせるべく反体制派を支援しよう、そこで私のような凡人の考えは止まってしまいますが、並行して反乱が起きそうだからそろそろ手打ちしないとヤバいんじゃないと現体制に問いかけるのが秀吉です。
これがディールの達人か、勉強になる、と思う反面、アメリカだけの費用負担で世界の敵をやっつけようとしている現状に、私がアメリカ人ならば、やらんとしていることはわからんでもないが、もっとイメージを良く保って他国と歩調を揃えて負担が分散するように尽くせよ、と怒りに震えているでしょう。合理性にも色々な種類があって、私は一定の合理性が認められるならば誰にでも(それがトランプ大統領であっても)肯定的な評価をします。司法試験の採点だって同じでしょ?自分とは結論が異なる、学説が異なるからといって、低い評価をする採点者はいません。
2026年9月22日
トランプ大統領を通じて、謎の軍事大国サウジアラビアの真の実力(悪い意味)とアメリカの交渉力がわかって面白いです。
サウジアラビアは日本を超える軍事予算を誇る軍事大国です。にもかかわらずフーシすら倒せない。フーシは、イエメンという小国の反政府組織で、後ろ盾のイランも弱体化しています。それすら倒せずにアメリカを頼りましたが、トランプ大統領はこれを拒否しました。
AIによるディープフェイク全盛の今、真偽不明ではあるのですが、サウジアラビア兵がアメリカから購入した最新型の軍事車両をフーシに横流しする動画がインスタで流れていました。キャプションには、傭兵に頼る国の軍事力の真実、というようなことが書かれていました。たしかに、サウジアラビアは、対フーシ戦において、イエメン現地の反フーシ武装勢力や、スーダンの貧困層を傭兵として雇っています。貧困からの裏切りに限らず、フーシのスパイを雇ってしまうこともありうる構造です。
そんな中で、アメリカが、48機のF35を3兆8000億円規模でサウジアラビアに売却するというニュースがありました。ミリオタの皆さんは、宝の持ち腐れだ、F35の真価を発揮させられるパイロット、整備士等を育成できるのか、という疑問の声をあげています。私は逆に、だからこそだな、と思いました。高額な費用と時間をかけて育成した人材ならば裏切らない。確実な戦力になる。アメリカの継続的な支援も必要となり、関係は強固になるし、アメリカが儲かる。面白いなと思うのが、引き渡しまでに数年かかることです。フーシ退治は長期化ということですね。フーシも状況はわかっているのでしょう。アメリカとの対話を継続しています。
なぜか日本の教科書にはイスラム教のニ大宗派という言葉が出てきますが、イスラム教徒の9割近くがスンニ派で、イエメンでも過半がスンニ派です。イエメンでは、イスラム対ユダヤではなく、シーア対スンニという構図です。
日本のマスゴミにばかり触れていると本質を見失ってしまいますが、イランは、世界唯一のペルシャ人国家です。ムハンマドはアラブ人です。シーア派はムハンマドの従兄弟の血統を重視し、スンニ派は人格を重視します。イランは世界でほぼ唯一の純然たるシーア派国家です。日本人には、ここまでの説明に違和感を持つ知性を備えて欲しい。
シーア派の最大派閥であるイランは、9世紀ころに、神が、第12代イマーム(指導者)を、世界の危機に救世主とするために温存した(隠した)、としています。その隠れイマームの代理を勝手に名乗っているのがイランの最高指導者です。例えるならば、大昔の天皇を唯一の最高権力者だと設定し、そのご不在の間には自分が全権代理すると名乗り出た自称征夷大将軍による勝手幕府というのが現在のイランの本質です。しかも天皇は日本人なのに自称征夷大将軍は日本人ではない。そんな国と協調するのはどこですか?スポンサーである(であった)ロシアと中国、雇われテロリストであるハマス、ヒズボラ、フーシくらいです。これらを結びつけているのは宗教ではなく金と暴力です。これを是とすることなどできようはずもない。イランがあまりにもアレなので、イスラム対ユダヤという構図が、シーア対ユダヤとシーア対スンニに変化して、イラン対イスラエル、イラン対サウジアラビア等につながるのです。
いずれにせよ、アメリカばかりが損をする構図を心配していましたが、F35売却の報道を受けて、流石、トランプ大統領は強かだと感じました。日本も今後も原油・ナフサでアメリカを頼ることになりそうですしね。安全保障という観点からはそれで良いと思います。